枚聞(ひらきき)神社




【所在地】


鹿児島県指宿市開聞十町




【御祭神】


[枚聞神一座]


大日孁貴命(おおひるめむちのみこと)



[皇祖神八柱神]


天之忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)


天之穂日命(あめのほひのみこと)


天津彦根命(あまつひこねのみこと)


活津彦根命(いくつひこねのみこと)


熊野樟日命(くまのくすびのみこと)


多紀理毘売命(たぎりびめのみこと)


狭依毘売命(さよりびめのみこと)


多岐都比売命(たぎつひめのみこと)




【由緒と歴史】


枚聞神社は、開聞岳(かいもんだけ)の北麓の北面に鎮座。

創建は古く不明。

社伝では遠く神代とされている。

古くは開聞岳を御神体とする、山岳信仰に根付いた神社。

枚聞神社も開聞岳も、文書に現れる最初の記録は、860年の*日本三代実録。

境内には、樹齢千数百年を超える楠の老樹が多数あり、枚聞神社が由緒深い古社であることを物語っている。

現在の建物は、1610年に*島津義弘が寄進した。


*日本三代実録:平安時代に編纂された歴史書。第56代・清和天皇、陽成天皇、光孝天皇の三代の歴史を編年体で記されている。901年成立。


*島津義弘:薩摩国〔現在の鹿児島県西部〕の大名。島津氏の第17代当主。



枚聞神社の詳細は、開聞岳の大噴火の際に一時避難遷宮した『揖宿神社』に記載。

『枚聞神社の御祭神・由緒と歴史の詳細、枚聞神社と開聞岳を拠点とした天智天皇と大宮姫の伝説、大宮姫の伝説で登場する智通上人と塩土老翁』などのを記載。


詳しくはこちら⇩

『揖宿神社』

https://keipandkeip.blogspot.com/2022/11/blog-post.html


開聞岳









【謎めいた祭神】


枚聞神社の祭神は、*三国名勝図会〔巻之二十三・頴娃郡〕の開聞神社の項目では次のよう記されている。


[主祭神]

国常立神(くにのとこたちのかみ)

大日孁貴命

猿田彦大神(さるたひこおおかみ)


[配祀神八座]

天之忍穂耳命

天之穂日命

天津彦根命

活津彦根命

熊野樟日命

多紀理毘売命

狭依毘売命

多岐都比売命


さらに、次のように記されている。


「此の開聞社の祭神は諸説甚だ多し。困りて其の説を具さに挙げて、其の本源を示す」


このように記された後に、多くの説を書き連ね、最終的に次のようにまとめている。


「…古説の如き當社祭神は、和多津美神を本とし、鹽土老翁とし、猿田彦命とし、出見尊、豊玉姫とす、郡本一宮の如き、中宮猿田彦大神、豊玉彦命、日月神、鹽土老翁、玉依姫、東宮出見尊、豊玉姫、西宮大己貴命、天智天皇の九體とす。此の西宮を除て外は、皆出見尊海宮遊行に係る諸神なり」


枚聞神社は、三国名勝図会には「開聞(ひらきき)神社」、日本三代実録には「開聞」、*延喜式には「枚聞」と記されており、古くは「開聞宮〔開聞神社〕」と呼ばれていた。

枚聞神社はそれほど歴史が古く、謎めいている。


*三国名勝図会:詳細は『揖宿神社』に記載。


*延喜式:平安時代中期に編纂された、律令の施行細則をまとめた法典。巻1〜10は神祇官(じんぎかん)関係の式。905年成立。




【噴火前の祭神と配置】


枚聞神社は、「正祀一座・大日孁貴命」と「外配祀八座」を合わせて「開聞九社」といわれていた。

本殿の他に八つの社があったのだが、明治初年の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)により、八社は本殿に合祀された。

874年の開聞岳の噴火前、開聞岳の南麓〔島居ケ原〕に鎮座していた枚聞神社の祭神と配置は、現在とはずいぶん違う。

祭神と配置は以下の通り。



[本殿]

祭神:国常立神(くにのとこたちのかみ)

   大日孁貴命

   猿田彦大神(さるたひこおおかみ)



本殿を中心に東へ

[荒仁宮]祭神:大己貴命

  ↓

[天井宮〔弟姫宮〕]祭神:玉依姫命

        ↓

[姉姫宮]祭神:豊玉姫命

       ↓

[聖宮]祭神:塩土老翁命

  ↓

[東宮]祭神:彦火火出見命

    


本殿から西へ

[懐殿宮〔廻殿宮〕]

祭神:*潮満珠(しおみつたま)

   *潮涸珠(しおふるたま)

※二つ珠が約60㎝の宝塔に納められていた。

  ↓

[西宮]祭神:天智天皇・皇后



西宮と離れて向きを束にして

[三二龍宮]祭神:地主神海神豊玉彦夫妻二神



本殿は女神一座と七座の木像が安置されていた。

懐殿宮の潮満珠・潮涸珠以外は、木造の座像が安置されていた。

どれも廃仏毀釈により破壊されたか、焼き捨てられたようだ。

祭神は、噴火の際に一時避難遷宮した揖宿神社の「開聞新宮九社大明神」とも若干違っている。


*潮満珠・潮涸珠:詳細は『揖宿神社』に記載。




【社殿】


社殿の本殿の真上に開聞岳の頂上が真直に見える。

朱塗りの第二鳥居〔南部鳥居〕をくぐると、正面に*唐破風(からはふ)の*向拝(こうはい)のついた『勅使殿(ちょくしでん)』がある。

勅使殿の左右には廻廊のような長庁が連なる。

勅使殿の奥は、拝殿、幣殿、本殿と一直線に並んでいる。

枚聞神社は、朱色の漆塗りの極彩色がとても美しい。


*唐破風:日本特有の建築技法。中央部を凸型に、両端部を凹型の曲線状にした破風のこと。


*破風:日本・韓国・北朝鮮・中国・台湾・モンゴルなどの東アジアに広く分布する屋根の妻側〔両側面〕の造形のこと。


*向拝:日本の建築において、神社や寺院の社殿や仏堂の屋根の中央が、前面に張り出した部分のこと。




【勅使殿】


勅使殿は、鹿児島地方独特の建物。

社殿の前にある朱塗りの建物で、*勅使門が変形して勅使殿となったと考えられる。

鹿児島地方の神社の勅使殿はどこも彩色が美しい。


*勅使門:寺院にあり、天皇や天皇の命令を伝える勅使が通ることのできる門。


勅使殿の左右に長庁







勅使殿の奥に拝殿







勅使殿







拝殿・幣殿・本殿







拝殿












【宝物】


宝物殿には、玉手箱とも称される、松梅蒔絵櫛笥(まつうめまきえくしげ)が展示されている。

1927年に国宝に指定されたが、現在は国指定重要文化財。

櫛笥は、女性用の化粧道具箱。

松梅蒔絵櫛笥は、梅と松の*蒔絵で飾られた漆器の化粧道具箱。

他にも宝物殿には、島津義弘寄進と伝えられる鎧、古鏡、二十四面の神楽面、神舞装束、古文書、桃山屏風絵、琉球王から奉納された扁額などがある。


*蒔絵:漆器の表面に漆で絵を描き、金や銀などの金属粉を蒔く技法。または、その技法を用いて作られた漆器。




【玉乃井】


枚聞神社から徒歩9分の場所にある玉乃井は、日本最古の井戸といわれている。

古事記・日本書紀に記されている井戸で、山幸彦〔彦火火出見命〕と豊玉姫が初めて出会った場所とされている。

山幸彦と海幸彦の神話は、浦島太郎の物語のモデルになった神話で、開聞地域には千年以上昔から伝わっているといわれている。

玉乃井はこの神話にゆかりのある地の一つ。






















【川上神社】


祭神:彌都波能売神(みずはのめのかみ)


枚聞神社から1.9km〔徒歩22分くらい〕地点にある、枚聞神社の境外摂社。

絶えず湧出する清泉。

枚聞神社の神前に朝夕献供(けんく)する御饌(みけ)の水源地として管理されてきた。













【大宮姫の伝説】


開聞岳と枚聞神社を調べていると、『揖宿神社』に記載した内容とは違う、次のような「大宮姫の伝説」を見つけた。


第12代・景行天皇の時代、池田湖が陥没し、開聞岳が出現した。
開聞岳の山腹の岩窟で、『虚空蔵求聞持法(こくうぞうぐもんじほう)』を習得した智通上人が、*開門神の出現を念じると、塩土老翁が現れた。
*閼伽水(あかすい)をくんで給仕すると、鹿が飲んで開門神を生んだ。
さらに口から神女を吐き出し、北天へ飛び去り北斗尊星となった。
神女は13歳で召されて、第38代・天智天皇の妃となった


*開門神:延喜式には枚聞神社と記されているが、多くの古記録には開門神と記されている。


*閼伽水:仏前に供える水。


この大宮姫の伝説、どれも「他の伝承では…」と書いてあり、伝承なのか?文献なのか?調べても分からなかった。

ちなみに、天智天皇と大宮姫の伝説を三国名勝図会では、「虚妄無稽にして、明證なく、牽強附曾にして、信用すべからず」と記されている。

「こじつけで事実ではないので信用してはいけない」と断言している。




【虚空蔵求聞持法】


虚空蔵菩薩を本尊とする、密教の修法のひとつ。

あらゆる経典を暗記することができ、見聞き・知覚したことを忘れることができない無限の記憶力を得られる。

真言宗の開祖・空海は、1人の修行僧から虚空蔵求聞持法を授かっている。

空海の運命を変えた虚空蔵求聞持法は、成し遂げるのが難しい秘術ともいわれている。




【不思議な体験】


揖宿神社も枚聞神社も滞在中、他の参拝者が来なかったので不思議だった。

下の写真の「枚聞神社のクスノキ」の看板の横に、『茂吉』と書かれた黒の歌碑がある。










クスノキと歌碑は、枚聞神社の鳥居の横にある。

斎藤茂吉は歌人〔歌聖〕で、開聞地方には茂吉の歌碑が多く点在している。

玉乃井の入口の写真にも、木に覆われた茂吉の黒の歌碑が左下に写っている。

不思議なことに、この日、宿泊した宿は、歌聖・斎藤茂吉と文豪・吉田絃二郎が宿泊した部屋だった。

「そう言えば、主人の前世は平安時代の文人、私の前世は古代中国の役人で文人と言ってたな〜これって偶然?じゃないよな〜」

と、開聞地方を訪れた後、こんな不思議なエピソードがあったのだった。













【おわりに】


開聞岳は、薩摩富士や筑紫富士とも呼ばれている。

枚聞神社の見どころは、朱色の漆塗りの極彩色の社殿が、開聞岳・指宿の自然に見事に溶け込んでとてつもなく美しいところだ。

鹿児島の南部の神社は、樹齢千年を超える大楠が普通に何本も生えている。

自然豊かなのは温暖な気候だけではなく、水・土・空気が澄んでいるからではないだろうか。

揖宿神社も枚聞神社も普通に野生の穴熊が歩いていた。

指宿神社の懐殿宮に祀られている昭美日月命は、昔の枚聞神社の祭神と配置から、潮満珠・潮涸珠ではなのだろうか。

三国名勝図会に「諸説甚だ多し困りて」と書いてあるように、枚聞神社は調べれば調べるほど色んな説が出てきてまとまらない。

枚聞神社や開聞岳周辺の歴史は謎が多いので、凄い古代史が秘められているような気がする。

とても魅力的な場所なのでまた訪れたい。