日御碕神社(ひのみさきじんじゃ)
【所在地】
島根県出雲市大社町日御碕
大社町杵築東には出雲大社がある。
日御碕神社と出雲大社は車で15分の距離。
【御祭神】
日沉宮(ひしずみのみや)〔下の宮〕
[主祭神]
天照大御神(アマテラスオオミカミ)
[配祀神]
天忍穂耳尊(アメノオシホミミノミコト)
天穂日命(アメノホヒノミコト)
天津彦根命(アマツヒコネノミコト)
活津彦根命(イクツヒコネノミコト)
熊野樟日命(クマノクスビノミコト)
日沉宮〔下の宮〕 |
神の宮〔上の宮〕
[主祭神]
神素盞嗚尊(カミスサノオノミコト)
[配祀神]
田心姫命(タゴリヒメノミコト)
湍津姫命(タギツヒメノミコト)
市杵島姫命(イチキシマヒメノミコト)
神の宮〔上の宮〕 |
「日沉宮」と「神の宮」の配祀神は、天照大神と素戔嗚尊の誓約で生まれた神達。
天照大神と素戔嗚尊の誓約についてはこちら⇩
『新田神社〜鹿児島県薩摩川内市』
https://keipandkeip.blogspot.com/2022/08/blog-post.html
「神の宮」の配祀神は、宗像三女神のこと。
宗像三女神についてはこちら⇩
『世界遺産 沖ノ島』
https://keipandkeip.blogspot.com/2022/01/blog-post_20.html
【由緒と歴史】
創建は古く、*第3代・安寧天皇13年(紀元前536年)。
日御碕神社は、天照大御神の和魂(にぎみたま)、素戔嗚尊の奇魂(くしみたま)が祀られている。
素戔嗚尊の5世孫・天葺根命(アマノフキネノミコト)が、この地に素戔嗚尊を祀ったことが始まりといわれている。
天葺根命が経島(ふみしま)を訪れると、天照大御神が降臨し、次のような神託を得た。
「我天下の*蒼生を恵まむ、汝速やかに我を祀れ」
この神託により天照大御神を祀ることとなった。
日沉宮は、元は経島に鎮座していた。
日沉宮の名前の由来は、伊勢神宮が「日の本の昼を守る」のに対し、日御碕神社は「日の本の夜を守れ」との勅命を受けたことによる。
*安寧天皇:在位は紀元前567〜紀元前510年。
欠史八大の一人。
*蒼生:国民。あおひとぐさ。
「欠史八大」についてはこちら⇩
『瓊瓊杵尊の可愛山陵、彦火火出見尊の高屋山上陵、天皇陵の説明』
https://keipandkeip.blogspot.com/2022/07/blog-post_21.html
経島 ウミネコの繁殖地 |
【和魂】
平和、調和、想いやり。
【奇魂】
霊感、悟り、智慧(物事を観察・分析し、真理を追及する)。
【境内】
境内はとても広く、たくさんの摂末社が祀られている。
日沉宮、神の宮、楼門、回廊、禊所、宝庫、門客人社、12棟の社殿、鳥居2基、石灯籠5基が、国指定重要文化財に指定されている。
【不思議な体験】
日御碕神社は凄かった。
日沉宮で手を合わせると、『神事御多』の文字が見えた。
神の宮で手を合わせると、『神事多し』の文字と『下に突き刺さった剣』が見えた。
稚日女命(ワカヒルメノミコト)を祀る末社・窟社では、『三つの頭の龍。なびく風。古代の服装と髪型をした人の後ろ姿』が見えた。
それと、日御碕神社と、訪れた島根の神社のいくつかの摂末社で、『気比』の文字が見えた。
『神事御多』と『神事多し』は、「これから神事が多くなります」と伝えているのだろう。
『下に突き刺さった剣』は、「天の意志を地に繋ぎ止めろ」と伝えているのだろう。
『三つの頭の龍。なびく風。人の後ろ姿』は、神功皇后の三韓征伐?
『気比』は、武内宿禰と何かと縁があるので、気比神社に関することを伝えているのかもしれないし、宇気比か食物神のことかもしれない。
【おわりに】
日御碕神社を訪れるのは2回目。
私はこの神社が好きだ。
日御碕神社の周りには、岬や灯台など、観光スポットがたくさんあるので、1日余裕で過ごせる。
日御碕神社の名前の由来「日の本の夜を守れ」は、月読命をいっているのではないだろうか。
島根県は山陰地方なので「陰」つまり「月」。
だから、日御碕神社に月読命を祀っていてもおかしくはない。
月と太陽の両方が鎮座しているのではないだろうか。
須我神社には、本殿の軒下に月と太陽の珍しい彫刻が彫られていた。
須我神社はこちら⇩
『須我神社〜島根県松江市雲南市』
https://keipandkeip.blogspot.com/2021/07/blog-post.html
古代の山陰地方は、月と太陽に祈りを捧げていたのではないだろうか。
天照大御神の「和魂」と素戔嗚尊の「奇魂」から、私たちが覚醒するのに必要なのは「調和」と「智慧」だと伝えているような気がする。
宇宙にある全てのものは連動しているので、「陰」「陽」どちらが欠けてもだめなのである。
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