鹿児島神社〜鹿児島県鹿児島市

2022/10/01

鹿児島 鹿児島神社 神社仏閣 日本の歴史 名前 由来



鹿児島神社



【別名】


宇治瀬大明神(うじせだいみょうじん)




【所在地】


鹿児島県鹿児島市草牟田


鹿児島県霧島市にある『鹿児島神宮』と混同しやすい。

鹿児島神宮は、彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)の皇霊を祀っている。


鹿児島神宮はこちら⇩

『鹿児島神宮』

https://keipandkeip.blogspot.com/2022/08/blog-post_28.html




【御祭神】


豊玉彦命(とよたまひこのみこと)

*綿津見神(わたつみのかみ)


天津日高彦火火出見尊

(あまつひだかひこほほでみのみこと)


豊玉姫命(とよたまひめのみこと)

*豊玉彦命の娘。彦火火出見尊の妻。


豊受大神(とようけのおおかみ)

*食物・穀物を司る神。



























【由緒と歴史】


創建年代は不詳。

平安時代に編纂された歴史書「日本三代実録」に次のように記されている。


*貞観2年3月20日条

「薩摩國従五位下鹿児島神に従五位上を授く。氏神は鹿児島の地主神なり」


このことから、平安時代前期には創建されていたと思われる。

鹿児島一円の地主神を祀ったのがはじまり。

元は『神瀬(かんぜ)の小島』に鎮座していたが、現在の場所に奉遷。

彦火火出見尊が綿津見宮を訪れた際、豊玉彦命がもてなしてくれたので、そのお礼として*鸕鷀草葺不合尊が創祀したと言われている。


*貞観(じょうがん)2年:860年。

*鸕鷀草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと):彦火火出見尊と豊玉姫命の子。




【神瀬の小島】


古来、鹿児島神社は錦江湾(きんこうわん)に浮かぶ「神瀬の小島」に鎮座していた。

山手にありながら「海の神」を祀っていた。

神瀬の小島は、鹿児島神社元宮である。

神瀬〔鹿児島神社元宮〕は、桜島と鹿児島湾の間にある。

桜島は、薩摩半島と大隅半島の間にある。

桜島は、1914年(大正3年)の大噴火で、大隅半島と陸続きとなった。




【桜島を囲む三社のトライアングル】


鹿児島神社の御神体は桜島。

鹿児島神社と同じ名前の神社が、鹿児島県垂水(たらみず)市にもある。

鹿児島神宮〔霧島市〕の古名も鹿児島神社。

桜島の古名は「鹿児島」である。

鹿児島市の鹿児島神社、霧島市の鹿児島神宮、垂水市の鹿児島神社を直線で結ぶと、桜島を囲む二等辺三角形になる。

この三社は、桜島を御神体として神を祀る神社であったと言われている。




【鹿児島の名前の由来】


古来、桜島のことを鹿児島と呼んでいた。

薩摩半島と大隅半島に囲まれた島→かこまれた島→鹿児島。

野生の鹿の子〔児〕がたくさん生息していた→鹿の児→鹿児島。

船を操る*水夫(かこ)がたくさん住んでいた→かこ→鹿児島。


*水夫:船を操る者。ふなのり。




【おわりに】


上の写真のたくさんの小さな祠は、鹿児島一円の地主神が集まったものだろうか。

神瀬の小島には、潮の流れや天候を読み、船を巧みに操る、航海に長けた海洋民族が定住していたのだろう。

次の3つのことから海洋民族と推測。

元は神瀬の小島に鎮座しており、山手にありながら海の神を祀っていた。

鸕鷀草葺不合尊が、綿津見宮を訪れた父親をもてなしてくれたお礼に創祀した。

鹿児島の名前の由来は、船を操る水夫。

色々と推測していると、天孫降臨の地は鹿児島のような気がしてきた。