卑弥呼(ひみこ)・卑弥弓呼(ひみここ)神社
【所在地】
鹿児島県霧島市隼人町
前回書いた『鹿児島神宮』と石體神社の間にある神社。
鹿児島神宮から徒歩5分の場所にある。
鹿児島神宮と石體神社についてはこちら⇩
『鹿児島神宮』
https://keipandkeip.blogspot.com/2022/08/blog-post_28.html
【由緒と歴史】
卑弥呼・卑弥弓呼神社の案内看板には次のように書いてある。
*素(そ):卑弥弓呼のこと。
【狗奴国】
「くなのくに」や「くなこく」ともいう。
狗奴国は、邪馬台国の南にあり、邪馬台国には所属せず、男王とする部族国家。
断髪で、入れ墨を施した海洋民族。
狗奴国の位置は、*肥後国(ひごこく)球磨(くま)とする『熊襲(くまそ)』説が有力。
他には、近畿の熊野(くまの)、四国の河野(かわの)、関東の毛野(けぬ)とする説がある。
*肥後国:熊本県
【熊襲】
熊襲とは熊襲族のことで、南九州に居住した部族。
「熊」は「球磨」熊本県人吉地方。
「襲」は「曽於(そお)」鹿児島県曽於地方。
球磨と曽於の両地域にまたがる地帯が、熊襲の居住地とされている。
【狗奴国の長官・狗古智卑狗】
男王・卑弥弓呼〔素〕の支配の元に、長官・狗古智卑狗(くこちひく)が置かれ、邪馬台国の支配に服せず独立国であった。
狗古智卑狗の名前から、肥後国菊池郡の菊池彦(くくちひこ)と解されており、熊本県菊池郡との関連があるとされている。
また、平安時代の中期に作られた辞書「和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)」には、「菊池」と書いて「久々知(くくち)」と注釈されている。
卑弥弓呼よりも先に記されていることから、狗古智卑狗が狗奴国の実権を握っていたとも考えられる。
長官名から次のように考える説もある。
「狗」は、「猛」のことで、男らしくて勇ましい勇者の意味の「建(たける)」のこと。
「古智」は、古い智恵という意味だが、古いの反対は新しいなので、「新しい智恵」のこと。
「卑狗」は、「ヒコ」のことで、「彦」「日高」「日子」のこと。
【狗奴国と邪馬台国の戦争】
邪馬台国は、女王国29ヶ国連合の連合体組織だった。
248年、狗奴国と邪馬台国は戦争。
*魏の調停により、一時平和を回復。
しかし、この間に邪馬台国の女王・卑弥呼は死亡。
*魏:220〜265年まで続いた中国の王朝の1つ。
【おわりに】
卑弥呼は、名前ではなく、役職名かもしれない。
当時は神権国家だったとすると、卑弥呼は女性シャーマン、卑弥弓呼は男性シャーマン?
狗奴国は、男性中心の強力な軍事国家だったのだろう。
そんなことを考えていると、卑弥呼に関する不思議な体験とその時に読んだ本を思い出し、「狗奴国の卑弥弓呼か狗古智卑狗は、大国主命のことなのでは?」と思えてきた。
本の内容はこちら⇩
『事代主大神の文字』
https://keipandkeip.blogspot.com/2021/07/kotoshironushinokami.html
卑弥呼に関する不思議な体験はこちら⇩
『卑弥呼①』
https://keipandkeip.blogspot.com/2021/07/himiko.html
『卑弥呼②』
https://keipandkeip.blogspot.com/2021/07/himiko-2.html
狗古智卑狗の「古智」は、温故知新・ふるきをたずねて新しきを知るのように思えてきた。
「狗」を「建」とする説から、神社の祭神や古代史に登場する「建」「武」「竹」などの「タケ」が付いた人物は、強い霊力を持った男性シャーマンのような気がする。
古代史に出てくる名前や地名は、漢字の意味で捉えるよりも、ひらがな・カタカナになおして、日本語〔大和言葉〕の発音の意味で捉えた方がいい。
大和言葉(やまとことば)の発音に、漢字をあてて表記していることが多いからだ。
漢字の意味で捉えるのと、大和言葉の発音で捉えるのとでは、歴史の見え方が変わってくることがある。
魏志倭人伝などの古代中国の文書を、日本語に訳すのはもっと大変だろう。
漢字をどう読むか、漢字をどこで区切るかで、解釈が異なってくるからだ。
例えば、「後漢書」東夷伝に次の記述がある。
「安帝永初元年倭國王帥升等獻生口百六十人願請見」
現代語訳:「安帝の永初元年、倭国王の帥升等が奴隷160人を安帝に献上した」
現代語訳のように「帥升/等」と「帥升」と「等」に区切ると、「代表者の帥升と、その他に数人の国王たちが…献上した」となる。
「帥升等」を1人の名前とすると、「倭国の王の帥升等が…献上した」となる。
日本も中国も古代と現代とでは、言語や言葉遣いの違いもあるだろうし、古代中国の文書を現代語訳するのは大変だ。
大和言葉が文字を持たなかったのは、文明が遅れていたからではない。
縄文時代は、都市国家や文字がないので、原始的だったのではない。
古神道が謎なのは、文字や文書で、形として残していないからだ。
古神道は、形や文字を残さず、神と対話できる・テレパシーだけで交信できる者だけに伝承された。
神社には社殿や鳥居が建っているが、本来は祭事のときだけに組み上げ、祭事が終わると全て壊していた。
形として残さないのが古神道である。
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