勅使殿 |
鹿児島神宮
【別名】
大隈正八幡宮(おおすみしょうはちまんぐう)
【所在地】
鹿児島県霧島市隼人町
【御祭神】
[主祭神]
彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)
※山幸彦
豊玉比売命(とよたまひめのみこと)
※彦火火出見尊の后
[相殿神]
帯中津日子命(たらしなかつひこのみこと)
※第14代・仲哀天皇
息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと)
※神功皇后。仲哀天皇の后。
品陀和気命(ほむだわけのみこと)
※第15代・応神天皇。八幡大神。
仲姫命(なかつひめのみこと)
※応神天皇の后。
【由緒と歴史】
鹿児島神宮は、彦火火出見尊の皇霊が祀られている。
鹿児島神宮の北西13㎞(車で18分くらい)地点に、彦火火出見尊のお墓『高屋山上陵(たかやのやまのえのみささぎ)』がある。
創建は古く、社伝によると、初代・神武天皇の時代から存在するとのこと。
彦火火出見尊と豊玉比売命が、都として地上を治めていた、宮殿であった高千穂宮を神社とした。
708年、現在地に遷座。
元宮に『石體神社(いわたじんじゃ)』が建てられた。
石體神社(いわたじんじゃ)は、鹿児島神宮から徒歩5分の場所にある。
石體神社は、高千穂宮跡である。
彦火火出見尊は、高千穂宮を中心に地上を治めていた。
高屋山上陵についてはこちら⇩
『瓊瓊杵尊の可愛山陵、彦火火出見尊の高屋山上陵、天皇陵の説明』
https://keipandkeip.blogspot.com/2022/07/blog-post_21.html
龍宮の亀石 |
【勅使殿と天井画】
勅使殿(ちょくしでん)とは、社殿(拝殿)の前にある建物のことで、鹿児島県特有の建築様式。
1756年に建てられた現在の社殿は、九州最大級の大きさを誇る。
拝殿の天井画は美しく、見るものを魅了する。
【とても興味深い鹿児島神宮】
前々から気になっていた鹿児島神宮は、ずっと訪れてみたかった神社。
というのも、今から紹介する本に、とても興味深い内容が書いてあるからだ。
関 裕二
『神社仏閣に隠された古代史の謎』
(徳間書店、2008年、P158〜161)
以下、引用した部分のタイトルとページ数を記載。
【鹿児島神宮に残された天孫降臨神話 p158】
霧島神宮よりも、知名度の低い鹿児島神宮の方が、重い歴史を背負い込んでいる。
大隈正八幡宮という別名を挙げた方が、ご理解いただけるのではないだろうか。
大分県の宇佐神宮〔八幡〕よりも、こちらの方が正当な八幡宮なのだと、訴え続けている神社なのである。
『延喜式(えんぎしき)』の大社で、南部九州最大の神社なのだから、もう少し名が知れ渡っていてもおかしくはない。
石清水八幡(いわしみずはちまん)の『八幡愚童訓(はちまんぐどうくん)』には、次のような伝説が紹介されている。
*震旦国(しんたんこく)の大王の娘・大比留女(おおひるめ)は、七歳の時に朝日の光が胸を突き、子をなした。
王臣は皆これを怪しみ、生まれ落ちた子を*ウツロ船に乗せて流した。
たどり着いたのが、日本の大隈〔鹿児島県〕の磯で、その太子を八幡と名づけたのだという。
このことと、関連するのだろうか。
鹿児島神宮の裏手には、異国情緒の漂う茜色の小さな社がひっそりと建っていて、これを『奈毛木の杜(なげきのもり)』と呼んでいる。
祭神は蛭子(ひるこ)で、男性の太陽神として生まれているが、発育が悪かったため、船に乗せて流されてしまったかわいそうな神様である。
この地の伝承によれば、蛭子はこの地に漂着し、ひどく嘆かれたといい、だから、ここを奈毛木の杜と呼ぶようになったという。
この話、大比留女の子どもとよく似ている。
大比留女は太陽神の巫女であり、その胸を太陽光線が貫いて子が生まれたのだから、大比留女の子は太陽神の霊を引き継いでいる。
*震旦国:インドからみた中国。
*ウツロ船:空船(むなふね)のこと。乗客も積荷も乗せていない、からの船。
奈毛木の杜 |
案内看板には以下のように書かれていた。
蛭子が乗った天磐楠船(あまのいわくすぶね)から枝や葉が出て、成長し大木になり、その楠の実が落ちて奈毛木の杜一帯に繁茂した。
しかし、歳月が経ち楠は朽ち果て空洞を生じ、根株のみとなった。
今もその切り株が「神代の楠」として残っている。
現在の楠の神木は1728年に植え継いだものと言われている。
神代の楠 |
現在の楠の神木 |
【正統な八幡神は鹿児島にいる? p159】
*韓国岳の名は、鹿児島神宮の祭神・八幡神と大きくかかわっているようだ。
ここでまず指摘しておきたいのは、大分県宇佐市の宇佐八幡宮〔神宮〕と「新羅(しらぎ)」の結びつきなのだ。
宇佐神宮(うさじんぐう)の周辺が七世紀に「秦王国」と呼ばれていたこと、この情報が中国側に知れ渡っていて、しかもその地の人びとは、中国大陸の人びとによく似ているという記録がある〔『隋書(ずいしょ)』〕
これは、新羅系の秦氏(はたし)が大きな勢力を誇り、しかも人口の大部分を渡来系が占めていたことによると考えられるのだが、この新羅系の住民が、鹿児島県に大量に移住していた。
律令制度が整うと、朝廷は日本の隅々に、杓子定規(しゃくしじょうぎ)な約束事を当てはめようと考えた。
いまだ、律令の「恩恵」にあずかっていない地域を教化するためにも、移民政策がとられた。
そして、八世紀初頭、大分県周辺〔豊前(ぶぜん)〕の住民二百戸〔約五千人〕が、鹿児島県の東側の地域に移住させられ、田畑を開墾し始めたらしい。
ところが養老四年(七二〇)、隼人(はやと)が*大隈国守を殺害し、争乱が起きた。
九州諸国から一万人を超える兵士が徴用され、「豊前の将軍や兵士たち」が活躍していたことがわかっている。
彼らはどうやら、八幡神を前面に押し立てて隼人成敗に向かったらしい。
隼人の乱は、一年数ヵ月続く。
そして、この争乱が、南部九州に、「新羅系渡来人」とのかかわりを強める決定的な事件になったようだ。
それはともかく、鹿児島神宮が「正八幡」といい、「宇佐神宮はまやかし」と述べているのは、この「新羅系渡来人の移住」とかかわりがあるらしい。
地勢上、宇佐神宮は、古くから政治介入を受け、祭祀形態と祭神が変遷した。
そして、ある時期を境に宇佐八幡〔神宮〕は、中央政府の支配下に入ってしまった。
そこで新羅系渡来人の祀る鹿児島神宮は、われわれが正統と訴えているのである。
*韓国岳(からくにだけ):鹿児島県霧島市、宮崎県えびの市・小林市の境界にまたがる、九州南部に連なる霧島山の最高峰。
*大隈国守:大隅国(おおすみこく)は、現在の鹿児島県の一部。守(かみ)は、行政官として中央から派遣された官使。殺害されたのは初代・大隈国守。
【摂末社】
[武内神社]
祭神:武内宿禰(たけのうちのすくね)
武内宿禰の詳細はこちら⇩
『武内宿禰と高良大社〜福岡県久留米市』
https://keipandkeip.blogspot.com/2021/08/blog-post_22.html
[隼風(はやち)神社]
祭神:日本武尊(やまとたけるのみこと)
[四所神社]
祭神:大雀命(おおさざきのみこと)
※第16代・仁徳天皇
石姫命(いしひめのみこと)
※仁徳天皇の后
荒田郎女(あらたのいらつめ)
※応神天皇の皇女
根鳥命(ねとりのみこと)
※応神天皇の皇子。大田氏の祖。
国指定重要文化財 |
[雨之社(あまのしゃ)]
祭神:豊玉彦命(とよたまひこのみこと)
※豊玉比売の父。大綿津見神(おおわたつみのかみ)。
御神木の右下 雨之社 |
[石體(いわた)神社]
祭神:彦火火出見尊
豊玉比売命
安産祈願に丸石を持ち帰る |
ここからは、鹿児島神宮から山手への参道を進んだ場所にある神社。
神秘的な参道と景色が神社まで続く。
参道の鳥居口に、神社が左右に門守のように並んでいる。
参道の鳥居口 |
稲荷神社 左奥 |
稲荷神社 左奥 |
稲荷神社 右奥 |
[山神神社]
祭神:大山祇命(おおやまつみのみこと)
鳥居口 右側 |
[大多羅知女(おおたらちめ)神社]
祭神:息長帯媛命(おきながたらしひめのみこと)
※神功皇后。
鳥居口 左側 |
[稲荷神社]
祭神:
宇賀魂命(うがのみたまのみこと)
大宮賣命(おおみやのめのみこと)
猿田彦命(さるたひこのみこと)
【おわりに】
武内神社では「気足姫、隈ノ國」、隼風神社では「隈ノ國」の文字がみえた。
やたらと大隈国を強調してくる。
気足姫は気長足姫(おきながたらしひめ)、神功皇后のことだろう。
神功皇后、武内宿禰、日本武尊もこの地に赴いたとも、祀ってある者たちはこの地と関わりがあるとも感じる。
関裕二さんが書いた内容とも繋がってくる。
宇佐神宮の周辺は、人口の90%を渡来人が占める地域もあった。
大分の宇佐から遠く離れた鹿児島に移民政策と争乱。
これは山幸彦と海幸彦の神話に似ているような気もする。
鹿児島神宮に彦火火出見尊の皇霊が祀ってあることは凄いことだと思うのだが、皇霊が祀ってあるとは大きく書いていない。
鹿児島神宮も滞在中、他の参拝者が来なかったので不思議だった。
それよりも不思議なのは、山神神社・大多羅知女神社・稲荷神社の場所。
古代の祭祀場のような雰囲気がある。
境内の案内看板の地図に表示してあるのだが、ここまで行く人はなかなかいないのではないだろうか。
おそらく来る人を選ぶと思う。
静寂に包まれた場所である。
帰って、関裕二さんの本を読み返して気付いたのだが、『奈毛木の杜』が書いてあることをすっかり忘れていた。
しかし、不思議と奈毛木の杜を訪れていた。
これはもう行くように導かれたのだろう。
奈毛木の杜の楠の神木は、生命力に満ちており、とても迫力がある。
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