生田(いくた)神社
【所在地】
兵庫県神戸市中央区
【御祭神】
稚日女尊(わかひるめのみこと)
【由緒と歴史】
日本書紀によると、201年、神功皇后の三韓征伐〔新羅遠征〕の帰途、船が動かなくなった。
*務古水門(むこのすいもん)で神占を行うと、稚日女尊が現れ、次のような神託があった。
『吾は活田長狭国に居らむと海上五十狭茅に命じて生田の地に祭らしめ』
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稚日女尊の教えの通りにしたところ、船は動き出し、海を渡ることができた。
活田長狭国とは、生田川の上手の砂山(いさごやま)の地名のこと。
当初、稚日女尊は、現在の新神戸駅の奥にある布引山〔砂山〕に祀られていた。
799年4月9日、布引の渓流の大洪水で砂山の山麓が崩壊。
神社が危険にさらされた時、刀禰󠄀七太夫(とねしちだゆう)という人が、御神体を背負って家に持ち帰り、庭石の上に御神体を置いたが、洪水の危機から逃れることはできなかった。
再び御神体を背負い、鎮座地を探し回っていると、8日後、生田の森に着いた時、背負っていた御神体が重くなった。
動けなくなった刀禰󠄀七太夫は、「これは神の意志だ」と思い、御神体は現在の生田神社に遷座した。
*務古水門:兵庫県尼崎市の武庫川の河口。
務古水門での神占いでは、稚日女尊の他にも3人の神が現れている。
詳細はこちら⇩
『長田神社〜兵庫県神戸市長田区』
https://keipandkeip.blogspot.com/2023/04/blog-post.html
海上五十狭茅の詳細と、関連する場所と歴史はこちら⇩
『五色塚古墳と小壺古墳』
https://keipandkeip.blogspot.com/2023/05/blog-post.html
【神戸の地名の由来は生田神社】
806年の古書に「生田の神封(じんぷ)四十四戸」と記されている。
現在の神戸市中央区一帯は、生田神社の領域だった。
神封の住民は、神社に税を納めたり、祝などの役職を務めることで神社に奉仕した。
生田神社に税を納める民家のことを「かんべ(神戸)」と呼んでおり、「かんべ」が訛り「こんべ」、そして「こうべ」となった。
【稚日女尊】
稚日女尊について記された歴史書と、稚日女尊を祭神として祀る神社は極めて少ない。
稚日女尊は、若く瑞々しい日の女神という意味もある。
日本書紀では、稚日女尊は次のような話で登場する。
『高天原でのこと。稚日女尊は、天照大神の機織り小屋で衣を織っていた。それを見た素戔嗚尊(すさのおのみこと)は、小屋の屋根に穴を開け、皮を逆剥ぎにした馬を投げ入れた。稚日女尊は驚いて、機織りから転げ落ち、持っていた機織り道具の梭(ひ)で、体を突いて死んでしまう』
日本書紀の記述から、稚日女尊は機織りの神ともいわれている。
天照大神の別名に、「大日孁尊(おおひるめのみこと)」と「大日孁貴(おおひるめのむち)」がある。
稚日女尊と同じ「ヒルメ」の文字が入っている。
「ヒルメ」は、「日(ひ)の妻(め)」の意味で、「日の神の妻」。
「大(おお)」と「稚(わか)」の違いは、「大」は正式、「稚」は脇役〔候補、副〕。
なので、稚日女尊は、天照大神自身のこととも、天照大神の*和魂(にぎみたま)、妹神、御子神とする説もある。
また、ある地方の方言では、「オオヒル」が日中を指すのに対し、「ワカヒル」は太陽が(空に)昇る前の朝の時間を指すことから、稚日女尊は天照大神の幼名であるとする説もある。
その他にも、天照大神も稚日女尊も伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の御子神とする説もある。
稚日女尊については謎が多い。
*和魂:神様の温和で平和な神霊。
【神様の名前に使う「尊」と「命」】
稚日女尊の「尊」のように、神様の名前に使う場合、「尊(みこと)」の字は、「命(みこと)」とも記される。
このことについて、日本書紀には次のように記されている。
つまり、神様の中でも特に尊い神様に「尊」の字が付けられる。
なので、天照大日孁尊(あまてらすおおひるめのみこと)、天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)、瓊々杵尊(ににぎのみこと)、彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)、鸕鷀草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)、神日本磐余彦尊(かむやまといわれびこのみこと)など、初代・神武天皇につながる神に「尊」の字が付けられている。
【史跡 生田の森】
生田神社の社殿の北側には、「生田の森」が鎮守の杜として広がっている。
枕草子などの様々な書物にも記されている。
[源平合戦ゆかりの地]
平安末期、平家軍は旧福原京を中心に、西の木戸口を摂津と播磨の国境・須磨一ノ谷、東の木戸口を生田の森・旧生田川として砦を築き、源平合戦・生田ノ森一ノ谷の合戦が行われた。
[かまぼこ発祥の地]
かまぼこの起源を辿ると、201年〔神功元年〕、神功皇后が三韓征伐の際、生田の森で、すりつぶした魚肉を鉾の先に塗りつけて焼いたものを食べたのが、かまぼこの始まりといわれている。
[生田森坐社(いくたのもりにいますやしろ)]
祭神:息長足媛命(おきながたらしひめのみこと)
*神功皇后
生田森坐社 |
【摂末社】
社殿内向かって右端
[住吉神社]
祭神:
表筒男命(うわつつのおのみこと)
中筒男命(なかつつのおのみこと)
底筒男命(そこつつのおのみこと)
社殿内向かって右
[八幡神社]
祭神:応神天皇(おうじんてんのう)
社殿向かって左
[諏訪神社]
祭神:武御名方命(たけみなかたのみこと)
社殿向かって左端
[日吉神社]
祭神:大山咋命(おおやまくいのみこと)
[蛭子神社]
祭神:蛭子命(ひるこのみこと)
[戸隠神社]
祭神:手力男命(たぢからおのみこと)
[市杵島神社]
祭神:市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)
[稲荷神社]
祭神:稲倉魂命(うがのみたまのみこと)
[塞神社]
祭神:
道返大神(ちがえしのおおかみ)
八衢比古神(やちまたひこのかみ)
八衢比売神(やちまたひめのかみ)
[雷大臣(いかつおみ)神社]
祭神:中臣烏賊津連(なかとみのいかつおみのむらじ)
*生田神社の元社家〔宮司家〕、後神(ごこう)家の始祖神。
*壱岐真根子(いきまねこ)の父。
壱岐真根子についてはこちら⇩
『武内宿禰と高良大社』
https://keipandkeip.blogspot.com/2021/08/blog-post_22.html
[人丸(ひとまろ)神社]
祭神:柿本人麿(かきのもとのひとまろ)
左から人丸神社・雷大臣神社・塞神社 |
[大海神社]
祭神:猿田彦命(さるたひこのみこと)
[松尾神社]
祭神:大山咋命(おおやまくいのみこと)
【布引の滝】
布引の滝は、生田神社の創建当初、稚日女尊を祀っていた布引山にある。
新神戸駅から北へ徒歩5分で着く。
六甲山の麓を流れる生田川の中流にかかる滝で、川は断層に沿って流れている。
布引の滝は1つの滝のことではなく、上流から雄滝(おんたき)、夫婦滝(めおとだき)、鼓滝(つづみだき)、雌滝(めんだき)の4つの滝の総称。
和歌山県の那智の滝、栃木県の華厳の滝と並んで、三大神滝といわれている。
ちなみに、新神戸駅から生田神社までは徒歩28分ほどかかる。
雄滝 |
【おわりに】
2年前、島根県の日御碕(ひのみさき)神社を訪れ、稚日女尊を祀る末社を参拝すると、「なびく風、三つの頭の龍、古代の服装をした人の後ろ姿」が見えた。
白の大きめの服の上下を帯で固定し、両耳の横で髪を結った、古墳時代にみられるような服装だった。
その後ろ姿、見た目と服装は男性なのだが、なぜか女性のように感じた。
日御碕神社の詳細はこちら⇩
『日御碕神社〜島根県出雲市大社町』
https://keipandkeip.blogspot.com/2021/07/blog-post_67.html
その後、稚日女尊について調べた。
稚日女尊を祭神とする神社は少なく、生田神社が気になった。
「神戸には縁がないし、生田神社に行くことはないな」と思っていた。
去年の8月、主人が突然、神戸に行くと言い出した。
しかも、主人の口から生田神社の言葉が出てきたので少し驚いた。
主人「米津玄師のコンサートが当たった。家から一番近い会場が神戸で、収容人数が一番少ない会場なのによく当たったなと思う。生田神社知ってる?コンサート会場から近いみたい」
私「知ってるも何も、生田神社は行きたいと思ってた神社。まさか生田神社の名前が出てくるとは思わなかった。急に神戸に行くとかびっくり」
神戸のことは何も知らなかったので調べると、神戸は神功皇后ゆかりの地であることが分かった。
そして、「日御碕神社で見た、三つの頭の龍は三韓征伐のことで、古代の服装をした人は神功皇后だったのではないか?」とふと思った。
結局、生田神社を訪れてもその謎は解けなかったが、生田の森に神功皇后が祀られていた。
生田の森で、読まずに通り過ぎようとした石碑に「かまぼこの発祥は神功皇后の三韓征伐…」と記されているのを見て後戻りした。
「かまぼこを漢字にすると蒲鉾、鉾の字を使うのはそういうことだったのか〜」と思った。
生田神社は都会のオアシスだった。
生田の森は居心地がよく、樹齢五百年を超える四本の御神木に癒される。
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