弘化谷古墳と装飾壁画

2022/04/29

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【弘化谷古墳(こうかだにこふん)】

所在地:福岡県八女郡広川町

復元墳丘長:約39m

高さ:約7m

形状:大型円墳

構造:横穴式石室

築造年代:6世紀中頃(古墳時代後期)

出土品:

イヤリング、勾玉・管玉、ヤジリ(鉄鏃〔てつぞく〕)、留金具、土器など。

盗掘を受けているため、副葬品のごく一部しか残っていない。


濠と外堤









濠と外堤を含めた外径は55m。

石室は、旧表土から地山を削り割って築かれている。

墳丘は、黄色土と黒色土とを交互に盛り上げて築かれている。


弘化谷古墳は、前回書いた「岩戸山古墳」から車で7分の場所にある。

岩戸山古墳と近いことから、岩戸山古墳と関連性があるとされている。

前回のブログを一読することをおすすめする。


↓ 前回のブログ記事

『岩戸山古墳と磐井の乱』

https://keipandkeip.blogspot.com/2022/04/blog-post.html


【弘化谷古墳の最大の特徴】

玄室の奥壁に接して設けられた石屋形の奥壁・両側・天井に、赤と緑で彩色が施された『装飾壁画』がある。

装飾壁画の文様の中に、幾何学文(三角文・円文)、双脚輪状文、矢筒(靫〔ゆき〕)が描かれている。

『装飾壁画』とそこに描かれた『双脚輪状文』が最大の特徴である。

『双脚輪状文』は、福岡県嘉穂郡桂川町「王塚古墳」、熊本県山鹿市「横山古墳」、熊本県熊本市「釜尾古墳」と、全国でも4例しかない極めて珍しい文様だ。

これらの装飾壁画は、技法上では全体を薄く赤く地塗りし、文様上では双脚輪状文を含む点が特徴で、全国的にみても極めて珍しい。


【玄室】

玄室とは、古墳の中の死者を埋葬する部屋。

弘化谷古墳は、横穴式石室の玄室奥壁に接して設けられた、石屋形の内面と小口部に彩色が施された装飾古墳である。

石材は石室も石屋形も緑泥片岩(りょくでいへんがん)。


【石室】

石室とは、石を積んで作った部屋。

現存長4.5m、最大幅4.1m、高さ3.6m

緑泥片岩の割石が積み上げられた石室の正面に、石屋形を設置している。

前面が赤く塗られている。


【石屋形】

石屋形とは、石造りの遺体を納めた棺。

幅2m、高さ1.3m

前面に袖石を置き、その上に天井石を乗せている。

肥後(熊本県)で盛行(流行)したもの。

福岡県内には4例しかなく、大変珍しい。


↓ 石屋形についてのブログ記事

『童男山古墳1号墳と石屋形』

https://keipandkeip.blogspot.com/2022/05/1.html


石屋形奥壁の装飾壁画








1970年、弘化谷古墳は果樹園造成工事中に偶然発見されたため大破。

1978年、国の史跡となるが、整備されるまで吹きさらしだったため、外気に触れた『装飾壁画』は色褪せている。

弘化谷古墳から歩いて6分の場所にある、こふんピア広川(広川町古墳公園資料館)に、装飾壁画の実物大レプリカが展示してある。


色褪せる前を再現したレプリカ









『双脚輪状文』を描く古墳に共通している点

・構造が横穴式。

・石屋形を設置している。

・福岡と熊本にある古墳の4例だけ。


このことから、日本書紀に記されている『磐井の乱』の筑紫君磐井(ちくしのきみいわい)とその一族が、火の国(熊本県)と婚姻関係を結び始めたことが分かる。


【弘化谷古墳の墓主】

双脚輪状文が見つかった地域と、肥後(熊本県)地域の内部施設である石屋形の存在から、墓主は『筑紫君磐井』の政権の中核にあって支えた有力者と思われる。

磐井の父の可能性もある。

しかし、古墳の築造年代から、磐井の子『葛子(くずこ)』の可能性が高い。


【葛子(くずこ)】

日本書紀

継体天皇22年12月に、筑紫君葛子は、父(磐井)の罪による死罪を恐れ、*粕屋屯倉(かすやのみやけ)を朝廷に献じ、死罪を免れた。

*現在の福岡県糟屋郡・福岡市東区付近。


筑後国風土記

逸文では磐井に関する記述はあるが、葛子に関する記述はない。


【装飾壁画の文様の意味を推測】

文様の意味は魔除けともいわれるが、詳細は不明。

単純に考えて、天体ショーと阿蘇の噴火とそれに伴う天災地変を意味しているのではないだろうか。

古神道は、古来より文字や形として残さないのが基本である。

しかし、祈祷や占いによる政(まつりごと)から、災害を予測できたとしたら、来るべき大災害から皆を守るため、装飾壁画として残したとも考えられる。

絵と口伝による言い伝えがあれば、子供でも理解できるし、絵本のようなものだ。

絵が残されていれば、しかも王の墓に描かれていれば、言い伝えは迷信ではなく真実だと思える。

このように考えると古墳は、死者の埋葬だけではなく、自然災害や放射能に備えた、半地下型のシェルターの機能を兼ね備えているのかもしれない。

しかも、古墳は1000年以上も前に造られているのに、災害にも耐え、丈夫で耐久性に優れている。

来るべき天災地変のために、古墳は事前に用意したシェルターだったとしたら、いつでも避難できるような仕組みになっているはずだ。

それを裏付けるものが横穴式石室・横穴系墓室で、後からも遺体を埋葬できる仕組みになっている。

横穴式石室・横穴系墓室は、4世紀後半から北部九州で造られ、九州全域に広がり、東の方へ伝わった。

全国各地に広がったのは6世紀になってからで、日本各地に拡がるのに約1世紀近くかかっている。


弘化谷古墳石室石屋形の壁画実測図









【上図A〜Gの文様の種類】

A.三角形文(さんかくけいもん)

B.靫(ゆき)

C.三角形文(さんかくけいもん)

D.円文(えんもん)

E.双脚輪状文(そうきゃくりんじょうもん)

F.同心円文(どうしんえんもん)

G.連続三角形文(れんぞくさんかくけいもん)


以下はあくまでも私の考え。

宇宙の星、地球、弘化谷古墳周辺の地形を平面状に描いた、天と地の地図ではないだろうか。

そして、宇宙現象と火山の噴火、それに伴う災害を予測・預言したものを地図で表しているのではないだろうか。

赤と緑の暖色と寒色の二色を使って描いているのは、意味があって使い分けをしているのだろう。

このように考えると、

A・Cは、耳納連山(みのうれんざん)や鷹取山などの連なる山々。

Bは、来るべき災害に備えるよう、食料の備蓄などの対策を促している。または、周辺のシェルターとなる古墳を表す。

D(左端・緑丸)は、地球・弘化谷古墳。

D(緑二重丸・中心赤)は、日食や月食。

E(緑二重丸・中心赤)は、阿蘇山の噴火。

E(緑丸・中心赤)は、太陽フレアによる太陽嵐。

F(左端・D下・中心緑点)は、火山活動が落ち着いている霧島・桜島の火山。

Gは、くじゅう連山。緑の三角形の赤丸は火口。

小さいD・F(B下)は、超新星爆発や流星。


【日本書紀に記された天体ショー】

620年12月:赤気(オーロラ)

628年4月:皆既日食

634年8月:ハレー彗星(南の空)

640年3月:*星食(月が星を覆い隠す現象)

643年6月:**月食

680年12月:月食

684年7月:ハレー彗星(西北の空)

*おうし座で最も明るい恒星・アンデバランが食された。

**月が沈んで起こる月食で、飛鳥京からは見えないため、暦算上のものであるとされている。


【火山の記録】

阿蘇「あそ」は、アイヌ語で火を噴く山を意味する言葉だとする説がある。

阿蘇山は、中岳を中心に6世紀頃から頻繁な活動が記録されており、日常的に土砂噴出、赤熱現象、噴火が観測されている。

くじゅう連山の東部にそびえる巨大な溶岩ドームの黒岳(くろたけ)は、4世紀頃(古墳時代前期)に誕生した最新の火山体。


↓ 黒岳にある黒岳原生林と男池(おいけ)

『日本の絶景 黒岳原生林と男池』


桜島は764年に大噴火が起きている。

霧島の火山については下のブログ記事に記載。

↓ 『天孫降臨の地〜高千穂峰と天逆鉾』

https://keipandkeip.blogspot.com/2022/03/blog-post_25.html


【太陽嵐】

太陽は、11年周期で極大期と極小期を繰り返している。

この周期が長期化すると、放出されるはずだったエネルギーは蓄積され、蓄積されたエネルギーは極大期に一気に放出される。

すると、太陽嵐を引き起こす可能性がある。


【極大期】

・太陽活動がきわめて大きくなる時期。 

・黒点が増える。

・太陽フレア(大きな黒点の周辺で起きる大爆発)が頻繁に起きる。

・地球に届く電荷粒子が増える。

・オーロラが頻繁に見られる。


【極小期】

・太陽活動が特に弱まる時期。 

・太陽黒点が減少する。

・地球の気候が寒冷化する。


【太陽嵐で予測される被害】

巨大な太陽嵐が起きれば、地球にも大きな被害が出る。

蓄積されたエネルギーを一気に噴出するような太陽フレアが起きると、大量の太陽粒子が地球に降り注ぐ可能性がある。

地球に与える影響は、電波障害による通信システムの故障、放射線による被曝、コロナガスの到達など。

分厚いコンクリートの地下室や地下シェルターなどに避難できれば、被曝することはないだろう。

事前に全ての電力システムを停止しておかなければ、電力システムは破壊されるだろう。

火山の噴火が次々と起き、火山灰が地球を覆えば、被害は軽減されるかもしれないが、これはこれでまた別の問題が起きる。


【屋久杉の年輪に刻まれた宇宙現象】

6〜12世紀の屋久杉の年輪の『炭素14』分析して、その年代の宇宙線量を調べる実験が行われている。

炭素14は、地球外から飛来する銀河宇宙線が、地球大気と反応して、中性子を生成することで作られる。

樹木は、大気中の炭素を光合成によって取り込むため、古い樹木の年輪を測定すると宇宙線量が分かる。

分析結果で二度の宇宙線量の急増が見られた。

西暦775〜775年、西暦993〜994年に濃度の異常上昇があった。

考えられる要因は、

・太陽フレアが放出する電荷粒子が地球の大気中に到達した。

・地球の近くで起きた超新星爆発で大量のガンマ線を放出した。

ヨーロッパの年輪も同時期に濃度上昇があったため、地球規模で何らかの大きな変動を与えた突発的宇宙現象が起きたことが分かる。

つまり、太陽フレア、超新星爆発のガンマ線バーストなどの突発的高エネルギー宇宙現象があったということだ。

ちなみに、ガンマ線バーストは、数秒で太陽の一生分に相当するエネルギーを放出し、全天体のうち一点が突然明るくなる。

1006年の超新星爆発で出現した客星(一定期間後に再び見えなくなる恒星)は、金星よりも明るく見えたと記録されている。

774年頃にはこのような記録は見つかっていない。


【おわりに】

装飾壁画の意味を自分なりに考え、「まさかそんなわけないよな〜」と思いながら色々と調べてみると、意外にもそれを裏付けるような事柄を見付けた。

真実は分からないが、「意外と当たっているのかも」と思う自分がいる。

もし、装飾壁画の意味が『宇宙現象と火山の噴火、それに伴う災害の予測や預言』だったとしたら、過去にそれが終わっているとは限らない。

今この時に訪れるかもしれないし、近いうちに訪れるかもしれない。

だとしたら、先人たちは、来るべき災害から遠い未来の私たちを守るために、古墳を作ってくれたことになる。