【童男山古墳(どうなんやまこふん)1号墳】
所在地:福岡県八女市
墳丘長:直径48m
高さ:6.7m
全長:18m
形状:大型円墳
構造:複室構造の横穴式石室
築造年代:6世紀後半
出土品:久留米藩の国学者・矢野一貞(やのかずさだ)が著した、筑後将士軍談(ちくごしょうしぐんだん)に記載されていることから、古墳は江戸時代には開口しており、出土品は見つかっていない。
童男山古墳1号墳は、標高100mの山頂にある。
古墳の内部を自由に見学することができる。
中を見学できる古墳は滅多にないので、とても貴重な体験ができる。
↓ 童男山古墳1号墳の動画
『日本の遺跡 童男山古墳1号墳』
【童男山古墳群】
童男山古墳群とは、童男山古墳1号墳を中心として、周囲に所在する古墳群のこと。
童男山古墳群は大きく分けて3つのグルーブがある。
1号墳の東側屋根に13基。
1号墳から南にのびる屋根上に9基。
西側の浅い谷をはさんだ屋根に5基。
現在までに27基の古墳が確認されている。
1号墳と同様に古墳は全て円墳。
複室構造の横穴式石室が多い。
内部施設に石屋形、石棚、棺床(かんしょう)、石棺(せっかん)が多い。
2号墳 見学できる |
2号墳 入口と前室・後室(玄室) |
2号墳 後室と棺床 |
12号墳 立ち入り禁止 |
13号墳 見学できる |
13号墳 入口と前室・後室 |
13号墳 後室の奥 |
13号墳 後室の天井 |
13号墳 後室から見た前室と入口 |
【童男山古墳1号墳の最大の特徴】
最大の特徴は巨大な石室と石屋形。
内部には朱塗りの跡が残っている。
右側の側壁には、3.7m×2.7mの角閃石安山岩(かくせんせきあんざんがん)が使用されている。
これは、童男山古墳1号墳から5.4km(車で9分)ほど離れた場所にある、鶴見山古墳の右側の側壁と共通している。
両古墳の関係性が考えられる。
【羨道(せんどう)】
羨道とは、古墳で遺体を収容しておく玄室から、外部に通じる通路にある部分。
横穴式石室や横穴墓に見られる。
童男山古墳1号墳は、羨道部が失われているが、全長18mの石室と推定されている。
【玄室】
童男山古墳1号墳は、玄室の奥の壁に巨大な石屋形、左側の壁にはくり抜きの石棺が残っている。
石屋形と石棺は、凝灰岩で造られている。
【石屋形】
石屋形とは、石造りの遺体を納めた棺。
童男山古墳1号墳は、石棺が左右と奥に、コの字型に置かれていたと思われる。
左と奥の石棺のみ現存している。
現存する左と奥の石棺。 奥が石屋形。 |
【後室(玄室)】
奥行4.3m、幅3.5m、高さ4.1m。
後室の入口の袖石には、まぐさ石が架設されている。
【前室】
奥行2.25m、幅2.4m、高さ2.85m
【凝灰岩の石屋形】
奥壁に接して、
長さ2.5m、幅1.3m、深さ0.53m
【まぐさ石】
古代の建築で、2つの支柱の上に、水平に渡されたブロック(石)のこと。
【おわりに】
童男山古墳1号墳は、地元では古くから『徐福』の墓として信仰されている。
徐福とは、秦の始皇帝の命を受け、不老不死の薬を探すため、日本に渡来したとされる人物だ。
解説板にこう書かれていた。
童男山ふすべ
『今から二千年以上も大昔、中国が秦という名の頃、始皇帝という人が家来の徐福に「いつまでも若さと元気を保つ不老長寿の薬を探し求めてこい」と命じました。
命を受けた徐福は、自国の秦の国内はおろか東支那海を渡り、九州の今の有明海より私達の郷土、この川崎まで薬を求めてやってきました。
しかし徐福は、寒い冬空のもと、つかれはててとうとう病にたおれ、地域の人々の手厚い看護もむなしく病死してしまいました。
私達の祖先の人々は、この見も知らぬ他国の人を、やさしく、温かく、ていねいにほうむってあげました。
そして徐福のやすらかなねむりを念じ、煙が絶えないように火をたき続けてきたと伝えられています。
これが「童男山ふすべ」の由来です。
以来地域の人々は、このうるわしい伝統を受け継ぎ毎年一月二十日に童男山ふすべを行ってまいりました。
現在では川崎小学校の児童に受け継がれ、祖先の人々の国境を越えた温かい人間愛を象徴する大事な行事として続けられています』
今私たちにとって必要なことは、『国境を越えた温かい人間愛』→『温かい人間愛』→『愛』ではないだろうか。
何が正しいとか、何が間違いとかではなく、全てを受け入れることができる心が『愛』のはず。
多くの人が「戦争はだめ」「平和がいい」と言いながら、その逆のことを気付かずにやっている。
例えば、ワクチンを打ちたくない・打っていない人に、「打ちなさい」と言うことは、「平和がいい」と言いながら、争いを生んでいることに気付いているのだろうか。
打ってない人が、打った人に対してあれこれ言うのも同じことである。
気付いていないから無意識にそう言っているのだろう。
そう言うことである。
童男山古墳が信仰の対象になっていなかったら、古墳の内部を見学することはできなかったかもしれない。
この貴重な遺跡・古墳の内部を自由に見学することができるのは、地元の方々のお陰である。
童男山古墳1号墳の内部はとても凄かった。
見学する価値は大いにある。
童男山古墳でも凄かったのに、それよりも大きな古墳やエジプトのピラミッドを見た矢先には、驚きすぎて言葉が出ないかも。
↓ この記事と関連するブログ記事はこちら
『岩戸山古墳と磐井の乱』
https://keipandkeip.blogspot.com/2022/04/blog-post.html
『弘化谷古墳と装飾壁画』
こちらも石屋形があり、石屋形について書いている。
https://keipandkeip.blogspot.com/2022/04/blog-post_29.html
『石人山古墳と装飾文様』
https://keipandkeip.blogspot.com/2022/05/blog-post_15.html
0 件のコメント:
コメントを投稿