特別史跡 王塚古墳

2023/10/20

王塚古墳 古墳 史跡 前方後円墳 装飾 日本の歴史 福岡 壁画




王塚(おうづか)古墳




【所在地】


福岡県嘉穂郡桂川町




【王塚古墳】


全長:86m


後円部高:9.5m


後円部径:56m


前方部幅:60m


形状:前方後円墳


構造:横穴式石室


構造年代:6世紀〔古墳時代後期〕


出土品:装身具、武器、武具、馬具、土器


被葬者:不明

この地方の大豪族「穂波の君(ほなみのきみ)」の墓とも言われている。





























【王塚古墳の特徴】


石室内の全体に極彩色の壁画が描かれている。

国の特別史跡。

日本を代表する装飾古墳。

特別史跡に指定されている装飾古墳は、高松塚古墳〔奈良県〕、キトラ古墳〔奈良県〕、王塚古墳〔福岡県〕の3つ。

日本の装飾古墳に使われている壁画の色は、赤・黄・緑・青・黒・白の6色だが、王塚古墳では青を除く5色が使われている。

この5色の色使いは、国内の装飾古墳では最多。

描かれている絵は、騎馬像・*靫(ゆぎ)・盾・大刀・珠文・双脚輪状文(そうきゃくりんじょうもん)・蕨手文(わらびてもん)・三角文・同心円文など。

全長6.5mの石室は、前と後の二室に分かれている。

後室〔玄室〕は、長さ4m、幅3m、高さ3.5mと大形。

石室の広さから、極彩色の壁画のスケールの凄さが分かる。

王塚古墳の敷地内にある王塚装飾古墳館では、原寸大のレプリカの石室に入ることができる。

鮮やかな壁画も再現している。



*靫:矢筒


前室後壁 

双脚輪状文が左に2個







騎馬像・蕨手文・同心円紋







後室奥壁 石屋形と石棚
天井に白の珠文・三角文・靫など













【石室の特徴】


後円部の石室内部は横穴式で、遺体を納める後室〔玄室〕とその手前に前室〔羨道〕がある。

石室の入り口は、前方後円墳のくびれ部に近い北西側。

石室は、主軸線を後円部の中心部に正しく向けられている。

石枕などの数から4人の被葬者が埋葬されていたとされる。

奥壁の上部に石棚、下部に遺体を納める*石屋形、その前面に*灯明台石が立てられている。

前室と後室を結ぶ通路の上には、小窓が設けられている。

石棚、石屋形、灯明台石、小窓と他に類を見ない複雑な構造をとっている点が、王塚古墳の石室の特徴。

天井石や石室の大部分は、地元産の花崗岩(かこうがん)などが使われている。

寝台以外の石屋形・灯明台石・石枕は、阿蘇の溶岩〔福岡県八女地方産かも〕が使われている。



*石屋形:左右に置いた板石の上に天井石を乗せ、家のような形をしている遺体安置施設。


*灯明台石:灯明と思われる板石。




【壁画の特徴】


描かれている文様は以下の通り、


・騎馬像

・靫(ゆぎ)

・盾

・大刀

・珠文

・双脚輪状文(そうきゃくりんじょうもん)

・蕨手文(わらびてもん)

・三角文

・同心円文


大形の同心円文は意外と少ない。

これは福岡県南部の筑後地方の壁画との違いを表している。

双脚輪状文は他に、*弘化谷(こうかだに)古墳〔福岡県〕、釜尾(かまお)・横山古墳〔熊本県〕、王塚古墳の3つしか描かれていない極めて珍しい文様。

装飾古墳は、日本全国に約600基ある〔墳丘を持たない横穴墓も含まれる〕。

その半数以上の約340基が九州地方に、特に福岡県と熊本県に集中している。

関東地方は約100基、山陰地方は約50基、近畿地方は約40基、東北地方は約40基、その他7県に点在。


*弘化谷古墳についてはこちら⇩

『弘化谷古墳と装飾壁画』

https://keipandkeip.blogspot.com/2022/04/blog-post_29.html


福岡県の古墳はこちら⇩

『岩戸山古墳と磐井の乱』

https://keipandkeip.blogspot.com/2022/04/blog-post.html


『石人山古墳と装飾文様』

https://keipandkeip.blogspot.com/2022/05/blog-post_15.html


『童男山古墳1号墳と徐福と愛の話』

https://keipandkeip.blogspot.com/2022/05/1.html




【墳丘の特徴】


墳丘の構造の特徴は、下段は地山の削りだしだが、上段は黄色土と黒色土を交互に盛り上げて二段に造られていること。

性質が違う2種類の土を積み重ねることで、土がしまりやすくなり、頑丈な造りになる。

二段築成の墳丘の周りには、周濠が巡らされている。

円筒埴輪を巡らし、表面には土砂が流れ出ないように石が葺かれている。




【特別史跡になるまで】


1934年〔昭和9年〕、採土工事中に発見。

石室の前室右壁の隅が開口し、偶然発見された。

王塚古墳周辺は、石炭採掘が盛んな地域で、石炭採掘による農地の復旧工事に使う土砂を掘っていた際の出来事だった。

この工事により、墳丘の半分以上が失われた。

1937年〔昭和12年〕、国の史蹟に指定。

1952年〔昭和27年〕、装飾古墳としては初めて国の特別史跡に指定。

1956年〔昭和31年〕、出土品が重要文化財〔考古資料〕に指定。




【出土品】


・変形神獣鏡


・装飾品

*埋木切子玉(うもれぎきりこだま)、瑠璃管玉(るりくだたま)、琥珀棗玉(こはくなつめだま)、土製丸玉、金の耳輪、銀の鈴


・馬具

鞍、鎧(あぶみ)、杏葉(ぎょうよう)、轡(くつわ)、雲珠(うず)、辻金具


・武器

大刀、鉾(ほこ)、*刀子(とうす)、鉄鏃(てつやじり)


・鎧

*挂甲(けいこう)


・土器

台付壺、蓋付杯、提瓶(さげべ)、高坏(たかつき)


発見されるまで未発掘だったため、副葬品の大部分が残されている。

石室に馬の絵が描かれていることが関連しているのか、豪華で造りが緻密な馬具が多く出土している。

馬具の豪華さは日本でも有数なもので、王塚古墳の代表的な出土品。

現存するものは全て国の重要文化財に指定され、京都国立博物館に寄託されている。



*埋木:石炭で作った玉。この地域独特のもの。


*刀子:小刀や小型ナイフのようなもの。


*挂甲:鉄の小片を紐でとじ合わせて作った鎧。




【おわりに】


王塚古墳館の石室の原寸大レプリカの中に入ると、予想を遥かに上回る高さと広さだった。

いったい何人で描いたのだろうか?

1人で描いたのだろうか?

天井はどうやって描いたのだろうか?

このかなり広い石室全体に色鮮やかな絵が描かれているものだから、色々と疑問が湧いてくる。

壁画と言うよりも、スケールの大きな芸術作品だ。

だだの遺体安置所なのだろうか?

オシャレすぎる壁紙のようにも思えてきた。

顔料の色の出し方といい、壁画の配色のバランスといい、センス良すぎだろう。

うちの壁紙にも描いてくれないかな。

でも、三角文様はずっと見ていたら目がチカチカしてきて、吸い込まれそうになる。

馬に乗る人、馬を引く人を描いた騎馬像の絵が好きだ。

騎馬像の絵を見たら、「中はどうなっているんだろう?」と内部に入りたくなる。

内部に入らせるための仕掛けだったりして。

石室内の灯明台に火を灯せば、壁画は優しい灯りに照らされて、落ち着く空間になるのではないだろうか。

実際、石室レプリカの中に入ると、落ち着いた雰囲気で、時が止まっているような感覚になった。

王塚古墳の第一発見者は、極彩色の壁画を見てさぞ驚いたことだろう。

私だったら、「こっ…これは…世紀の大発見では!?」驚いて腰が抜けたかもしれない。