新田神社



【所在地】


鹿児島県薩摩川内市



前回書いた、瓊瓊杵尊のお墓『可愛山陵(えのみささぎ)』がある神社。

標高70mの神亀山(しんきさん)の山頂に、新田神社と可愛山陵がある。

瓊瓊杵尊の皇霊は新田神社ではなく、霧島神宮に祀られている。


前回はこちら⇩

『瓊瓊杵尊の可愛山陵、彦火火出見尊の高屋山上陵、天皇陵の説明』

https://keipandkeip.blogspot.com/2022/07/blog-post_21.html


鳥居と太鼓橋

神亀山 中腹

参道と勅使殿













【御祭神】


[本祀一座]


天津日高彦火瓊瓊杵尊

(あまつひだかひこほのににぎのみこと)



[配祀二座]


天照皇大御神

(あまてらすすめおおみかみ)


正哉吾勝々速日天忍穂耳尊

(まさかあかつかちはやひあまのおしほみみのみこと)


勅使殿
















天津日高彦火瓊瓊杵尊の別名は、瓊瓊杵尊。

天照皇大御神の全名は、天照大神。

正哉吾勝々速日天忍穂耳尊の別名は、天忍穂耳命。


天忍穂耳命は、天照大神の子で長男。

瓊瓊杵尊は、天忍穂耳命の子。



天忍穂耳命を祀る霊山についてはこちら⇩


『英彦山・玉屋神社〜御池神事①〜③』

https://keipandkeip.blogspot.com/2021/07/blog-post_97.html


『卑弥呼②』

https://keipandkeip.blogspot.com/2021/07/himiko-2.html




【由緒と歴史】


高天原(たかまのはら)にいた天照大神は、孫にあたる瓊瓊杵尊に、三種の神器と稲穂を待たせ、次のことを命じた。

  1. 地上の世界を治めること。 
  2. 持たせた稲穂で米を作ること。

2を『斎庭稲穂の神勅(ゆにわのいなほのしんちょく)という。

瓊瓊杵尊は、たくさんの神様を連れ、今の鹿児島県霧島市にある高千穂峰に降りた。

これを『天孫降臨』という。

そこで初めて米を作る。

次に、今の鹿児島県南さつま市の『笠狭宮(かささのみや)』に移り、木花開耶姫(このはなさくやひめ)と結婚。

その後、東シナ海を北上し、鹿児島県薩摩川内市に上陸。

この地に高殿を築き、定住した。

やがて亡くなり、造られたお墓が『可愛山陵』。


川内市は古くは、千台(せんだい)と記されていた。

台(うてな)とは、高い建物のこと。

つまり、前述の高殿のこと。

瓊瓊杵尊が「千の台」を造るように命じた神話がある。

千の台(せんのうてな)
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千台(せんだい)
  ⬇︎
川内(せんだい)

となり、これが川内市の名前の由来ともされている。


新田神社は、元々神殿はなく、神亀山そのものが神社だったと伝えられている。

新田の名前の由来は、瓊瓊杵尊が川内川から水を引き、新しく田んぼを作ったことから。

平安時代の古文書に「新田宮」と称して、初めて新田神社の名前が出てくる。



高千穂峰についてはこちら⇩

『天孫降臨の地〜高千穂峰と天逆鉾』

https://keipandkeip.blogspot.com/2022/03/blog-post_25.html


瓊瓊杵尊が上陸した地、木花咲耶姫との出会いの地、その神話はこちら⇩

『野間神社〜鹿児島県南さつま市』

https://keipandkeip.blogspot.com/2022/12/blog-post_29.html





【天照大神と素戔嗚尊の誓約】


天忍穂耳命は、天照大神と素戔嗚尊(すさのおのみこと)の『誓約(うけい)』で生まれた。

生まれたと言っても、天照大神が天忍穂耳命を出産したわけではない。

誓約(うけい)とは、占いのこと。



[天照大神が誓約で噛み砕くと]


天照大神が、素戔嗚尊の十拳剣(とつかのつるぎ)を受け取り、噛み砕く。
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吹き出した息の霧から、田心姫命(たごりひめのみこと)、湍津姫命(たぎつひめのみこと)、市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)が生まれる。

この三柱の女神を*宗像三女神という。


*宗像三女神についてはこちら⇩



[素戔嗚尊が誓約で噛み砕くと]


素戔嗚尊が、天照大神の*八尺(やさか)の勾玉の五百箇(いおつ)のみすまるの珠を受け取り、噛み砕く。
          ⬇︎
吹き出した息の霧から、天忍穂耳命、天穂日命(あめのほひのみこと)、天津日子根命(あまつひこねのみこと)、活津彦根命(いくつひこねのみこと)、熊野久須毘命(くまのくすびのみこと)が生まれた。


*八尺の勾玉の五百箇のみすまるの珠は、多くの玉を緒に通した飾りで、勾玉ばかりをつないだものではない。





【勅使殿(ちょくしでん)とは】


拝殿の前に勅使殿がある。

これは、鹿児島県特有の建築様式。

新田神社は元々、神亀山の中腹に鎮座していた。

1173年、火災により中腹にあった社殿が焼失。

1176年、今の山頂に遷座した。


中腹にある当時の社殿の礎石














【境内末社】


[廿四社(にじゅうししゃ)]

祭神:五伴緒神(いつとものおのかみ)、瓊瓊杵尊の降臨に従った五神。


天児屋命(あめのこやねのみこと)
太玉命(ふとだまのみこと)
天鈿女命(あめのうずめのみこと)
石凝姥命(いしこりどめのみこと)
玉祖命(たまのおやのみこと)













[興玉神社(おきたまじんじゃ)]

祭神:猿田彦神(さるたひこのかみ)





[高良神社(こうらじんじゃ)]

祭神:天鈿女命










高良神社と聞くと、武内宿禰を祀っているイメージだが…。


高良と武内宿禰の詳細はこちら⇩

『武内宿禰と高良大社〜福岡県久留米市』

https://keipandkeip.blogspot.com/2021/08/blog-post_22.html




[中央神社]

祭神:大山祇命(おおやまつみのみこと)













[早風神社(はやかぜじんじゃ)]

祭神:級長津彦神(しなつひこのかみ) 

   級長津姫神(しなつひめのかみ)













[東門守神社(ひがしかどもりじんじゃ)]

祭神:豊磐間戸神(とよいわまどのかみ)


[西門守神社(にしかどもりじんじゃ)]

祭神:櫛磐間戸神(くしいわまどのかみ)

右側:東門守神社
左側:西門守神社


[保食神社]

祭神:保食神(うけもちのかみ)













[稲荷神社]

祭神:稲荷大神





【新田神社の大樟(おおくす)】


樹齢2000年と伝えられているとのことだが、年輪成長平均率によると650〜800年。

地上2mのところに大穴牟遅神(おおなむちのかみ)の木造が彫刻してある。

この木造は、島津家の家老、阿多長寿院盛淳(あたちょうじゅいんもりあつ)が掘り、奉納したものと伝えられている。

阿多長寿院盛淳 は、1600年の関ヶ原の戦いで、島津義弘の影武者となり討死した。

与謝野鉄幹・晶子夫妻が新田神社を訪れた際、大樟を見て詠んだ歌が残っている。


「可愛(え)の山の 樟の大樹の 幹半ば 

   うつろとなれど 広き蔭(かげ)かな」

                                               与謝野 鉄幹





【おわりに】


天孫降臨の地・霧島神宮には、瓊瓊杵尊の皇霊がある。

神亀山に瓊瓊杵尊のお墓『可愛山陵』があるのは、瓊瓊杵尊が川内市に移り住み、この地で亡くなったから。

新田神社と可愛山陵のある神亀山は、とても広い。

鳥居と太鼓橋を通り過ぎると、待ち構えているのが、拝殿(勅使殿)までの長い石段。

東・西門守神社の写真にあるように、神亀山の下に賽銭箱が設置してあるので、山頂まで登らなくても参拝できる。

山頂付近に駐車場もあるのだが、ぜひ、鳥居から太鼓橋を渡り、勅使殿と可愛山陵を見て、神亀山を堪能してほしい。

亀神山は、静かで清々しく、優しい雰囲気に満ちている。 

木々がどれも大きくて凄かった。

大樟の大穴牟遅の彫刻は、しめ縄の部分にあると思うのだが、大穴牟遅かどうかは分からなかった。

新田神社も滞在中、他の参拝者が来なかったので不思議だった。