瓊瓊杵尊の可愛山陵、彦火火出見尊の高屋山上陵、天皇陵の説明

2022/07/21

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可愛山陵













可愛山陵(えのみささぎ)


【所在地】


鹿児島県薩摩川内市

高さ70mの神亀山(しんきさん)の山頂に、可愛山陵と新田神社がある。



新田神社についてはこちら⇩

『新田神社〜鹿児島県薩摩川内市』

https://keipandkeip.blogspot.com/2022/08/blog-post.html




【被葬者名】


天津日高彦火瓊瓊杵尊

(あまつひこひこほのににぎのみこと)



【別名】


瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)



【瓊瓊杵尊とは】


神武天皇の曾祖父。

神代三代の一代目。

*皇霊(こうれい)は、霧島神宮に祀られている。


*皇霊:歴代の天皇の御霊。



【神代三代】


第一代目・天孫降臨の瓊瓊杵尊、第二代目・彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)、第三代目・鸕鷀草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)。



【神代三山陵(かみよさんさんりょう)】


または神代三陵(かみよさんりょう)。

初代天皇・神武天皇につながる、神代三代の陵墓のこと。

全て鹿児島県内にある。



















可愛山陵へと続く階段


高屋山上陵(たかやのやまのえのみささぎ)


【所在地】


鹿児島県霧島市溝辺町麓菅口



【被葬者】


天津日高彦火火出見尊

(あまつひこひこほほでみのみこと)



【別名】


彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)


 

【別称】


山幸彦(やまさちひこ)



【彦火火出見尊とは】


神武天皇の祖父。

神代三代の第二代目。

皇霊は、鹿児島神宮に祀られている。















以下から、

朝日新聞出版

『週刊朝日ムック 歴史道 Vol.20 』

古代天皇の謎と秘史

より一部引用。

引用ページはタイトルごとにPで記載。



【天皇陵(てんのうりょう)とは】


宮内庁が歴代天皇の墓に*治定(じじょう)したもの。

古事記、日本書紀、延喜式など、奈良時代以降の古記録に記された歴代天皇の墓所。

皇后や親王の墓所は〇〇墓とされる。

宮内庁が管理している。

現在、陵と墓は皇室の財産として保護され、祭祀の対象にもなっている。

誰のものかは分からないが、陵墓の可能性があるものは、陵墓参考地に指定し、宮内庁が管理している。

第9代・開化天皇陵〜第40代・天武天皇と第41代・持統天皇の合葬陵までは、考古学からみると古墳に該当する。

ちなみに、持統天皇は初めて火葬された天皇。

第2代・綏靖天皇(すいぜいてんのう)〜第9代・開化天皇までは、『欠史八代』と称され、実在は定かではないが、陵(みささぎ)は保護されている。P82


*治定:陵墓の被葬者を特定すること。



【なぜ埋葬者が分かるのか】


宮内庁によると、歴代天皇の陵は124陵だか、治定された古墳の被葬者が、歴代天皇であるとは言い切れない。

陵の造営地に関する古記録が主な手がかりになるが、6世紀までの古墳には、石碑・墓碑・文字で書かれた文献などの資料がない。

江戸時代には、国学者が現地調査を重ね、修陵工事が行われている。

江戸時代の調査結果を受けて、宮内庁に引き継がれたのが現在の陵墓。

明治維新後には、一部の古墳に治定変更が生じ、陵墓参考地が加えられ、今日に至る。

現在の考古学の現地から陵墓をみると、歴代の大王や天皇の継承順と古墳の年代は、9割以上の確率で整合する。

『欠史八代』と称される天皇陵は、古墳ではないものがほとんどを占める。

第9代・開化天皇陵は、古墳ではあるが、年代が合わない。

中世以前の開墾や陣地への改変が原因で、国学者の調査を惑わせ、陵の推定ミスをしている可能性がある。P82



【推定ミスと考えられる陵】


大阪府茨木市にある継体天皇陵の古墳は、5世紀後半の造築。

継体天皇が死去したのは、6世紀前半よりも後。

本来の継体天皇陵は、大阪府高槻市にある『摂津今城塚古墳(せっついましろづかこふん)と考えられている。

茨木市と高槻市は隣の市である。P82



【宮内庁が発掘調査をさせない理由】


陵墓や陵墓参考地は、皇室用財産であり、文化財保護法の対象からあらかじめ除外された、特別な聖域だから。

現在の日本国憲法には、*元首の規定はないが、戦前の大日本国憲法下では、天皇が元首であった。

その流れで、現在も天皇の統治下にある国家である。

初代・神武天皇は、日本を初めて統治し、民族をまとめた始祖として崇められる。

御陵は、天皇の御霊が眠る場所なので、厳重に保護され、篤く祀らなければならない。

現在は、宮内庁の管轄下にあるが、基本姿勢は変わらない。

ちなみに、継体天皇陵と考えられる『摂津今城塚古墳』は、宮内庁の管轄下ではないので、発掘調査ができる。P83


*元首:国の首長。


高屋山上陵


【欠史八代】


第2代・綏靖天皇〜第9代・開化天皇までの8代の天皇は、『欠史八代』と総称される。

系譜などの詳しい業績が記されず、長寿すぎるなど、実在が疑われている。

第10代・崇神天皇は、即位後の天皇としての業績が、日本書紀に詳細に記されている。

崇神天皇は、三輪山の麓に宮都を作り、三輪山の神・大物主(おおものぬし)を祀ったことで、三輪王朝とも呼ばれている。

欠史八代の各天皇の陵は、奈良盆地南西部の葛城地方に集中している。

この地を支配していた豪族・葛城氏が欠史八代の創作に関わっているとの説もある。P38,39



【二人のハツクニシラス】


神武天皇は、日本書紀に「始馭天下之天皇(ハツクニシラススメラミコト)」と称えられている。

崇神天皇も「ハツクニシラススメラミコト」と呼ばれている。

『ハツクニシラス』とは、初めて国を統治した天皇。

神武天皇は、神話と人間を結び付けた始祖。

崇神天皇は、天皇による全国の支配の始祖。

このように考えると、どちらの天皇も「ハツクニシラス」と言える。P32,33



【おわりに】


「瓊々杵尊の皇霊は霧島神宮で、可愛山陵と同じ場所にある新田神社ではないのか。霧島神宮と新田神社は距離があるな」と思った。 

可愛山陵と高屋山上陵は、とても静かで、爽やかで、優しい感じがした。

可愛山陵も高屋山上陵も、誰とも遭遇しなかったので、余計に静かに感じたのかもしれない。

どちらも自然豊かな森の中にあり、森の香りに包まれ、癒される。



↓ 瓊々杵尊に関するブログ記事

『天孫降臨の地〜高千穂峰と天逆鉾』

https://keipandkeip.blogspot.com/2022/03/blog-post_25.html


↓ 神武天皇に関するブログ記事

『多家神社(埃宮)〜神武天皇ゆかりの地』

https://keipandkeip.blogspot.com/2022/07/blog-post.html