狭野神社(さのじんじゃ)
【所在地】
宮崎県西諸県郡高原町蒲牟田
【御祭神】
神日本磐余彦天皇(かむやまといはれひこのすめらみこと)
*初代・神武天皇(じんむてんのう)
【配祀】
・吾平津姫命(あいらつひめのみこと)
*神武天皇の妻。
・*天津彦火瓊瓊杵尊(あまつひこほのににぎのみこと)
・*木花開耶姫尊(このはなさくやひめのみこと)
・*彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)
・*豊玉姫尊(とよたまひめのみこと)
・*鸕鷀草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)
・*玉依姫命(たまよりひめのみこと)
*天津彦火瓊瓊杵尊、木花開耶姫尊、彦火火出見尊、豊玉姫尊、鸕鷀草葺不合尊、玉依姫命の系譜等の詳細はこちら⇩
『霧島神宮~鹿児島県霧島市』
https://keipandkeip.blogspot.com/2024/06/blog-post.html
南参道 三の鳥居 |
表参道に流れる小川 |
表参道 |
外拝殿 |
【由緒と歴史】
*第5代・孝昭(こうしょう)天皇の時代、神武天皇が誕生した地、高千穂峰(たかちほのみね)の麓の皇子原(おうじばる)に創建されたのが始まりといわれている。
その後、霧島山の噴火により社殿が焼失し、1610年に現在地へ遷座。
神武天皇の生誕の地は、狭野神社から西に1㎞程にある境外末社の皇子原神社といわれている。
神武天皇の幼名は、狭野尊(さののみこと)である。
皇族の幼名は、生まれ育った地名を付ける習慣があることから、神武天皇が生まれた当時の地名の「狭野」が幼名の由来とされている。
狭野神社は*霧島六社権現の1社で、神徳院と呼ばれる別当寺があった。
村上天皇の時代から1050年にわたり続いた神徳院は、明治時代の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)により廃寺(はいじ)となった。
*孝昭天皇の在位期間:紀元前475年~紀元前393年。
*霧島六社権現の詳細はこちら⇩
『白鳥神社~宮崎県えびの市』
https://keipandkeip.blogspot.com/2024/01/blog-post.html
【神日本磐余彦天皇】
第1代の天皇。
別名:神武天皇(じんむてんのう)
幼名:狭野尊(さののみこと)
日本書紀での名称:神日本磐余彦天皇(かむやまといはれひこのすめらみこと)
古事記での名称:若御毛沼命(わかみけぬのみこと)
他にも数多くの名で記されている。
神武天皇は、天照大御神の五世孫。
父は鸕鷀草葺不合尊、母は玉依姫命の第四子。
兄は彦五瀬命(ひこいつせのみこと)、稲飯命(いないのみこと)、三毛入野命(みけいりののみこと)。
15歳で吾平津姫命を妃とする。
45歳の時に九州の日向国(ひむかのくに)高千穂から、国の中心地を目指し、東へ向かう〔*神武東征〕。
畝傍山(うねびやま)東南の橿原(かしはら)の地に都を開き、*媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと)を正妃とした。
紀元前660年2月11日、橿原宮(かしはらのみや)で初代天皇として即位し、媛蹈鞴五十鈴媛命は正妃から皇后となる。
2月11日は、現在の日本の「建国記念の日」となっている。
第2代・綏靖(すいぜい)天皇は、神武天皇と媛蹈鞴五十鈴媛命の子。
*神武東征の経路の詳細はこちら⇩
『多家神社(埃宮)~神武天皇ゆかりの地』
https://keipandkeip.blogspot.com/2022/07/blog-post.html
*神武東征と関連する神社⇩
『八幡総本宮 宇佐神宮』
https://keipandkeip.blogspot.com/2023/08/blog-post.html
*媛蹈鞴五十鈴媛命:事代主神(ことしろぬしのかみ)の娘。
【狭野神社のみどころ】
狭野神社の「狭野」が神武天皇の幼名であること。
狭野神社の参道は、直線の参道では日本で一番長いといわれている。
表参道沿いには清らかで美しい小川が流れ、樹齢400年を超える大きなスギの並木道となっている。
「狭野のスギ並木」として、1924年12月9日に国指定天然記念物に指定されている。
狭野のスギは、1599年に薩摩藩主・島津義弘が植えたとされている。
御神木 狭野のスギ |
【摂末社】
[水(すい)神社]
御祭神
・罔象女神(みずはのめのかみ)
・豊受姫神(とようけひめのかみ)
・大年神(おおとしのかみ)
・大山祇神(おおやまつみのかみ)
・大山昨神(おおやまくいのかみ)
・白山媛神(しらやまひめのかみ)
水神社 |
[西門守社]
御祭神
・櫛盤門戸神(くしいわまどのかみ)
西門守社 |
[東門守社]
御祭神
・豊盤門戸神(とよいわまどのかみ)
東門守社 |
[豊受神社」
御祭神
・豊受姫大神(とようけひめのおおかみ)
豊受神社 |
[神徳神社]
御祭神
・天照大御神
・神徳院之大神(しんとくいんのおおかみ)
神徳院を神徳神社として令和元年に再興された。
神徳院の名残である二体の仁王像が、神徳神社の隣に安置されている。
神徳神社 |
二体の仁王像 |
【おわりに】
狭野神社は、霧島神宮から18㎞程離れた車で26分程の場所にある。
霧島神宮へと向かう道路沿いに「狭野神社」の看板が立っており、気になったので霧島神宮参拝後に立ち寄った。
狭野神社は、一の鳥居から参道が真っ直ぐに伸びており、一の鳥居から神前まで1.3㎞ある。
駐車場の側にある、上の写真の三の鳥居から入る方が本殿に近い。
三の鳥居の先、表参道沿いに流れる美しい小川のせせらぎの音と、その傍に立つ立派なスギに、心が癒さる。
表参道を歩くと、参拝前に身も心も清められたように感じる。
荘厳な佇まいの水神社は、一歩中に入ると、静寂に包まれた別空間にワープしたような雰囲気になる。
豊受神社の横には、2011年の新燃岳の噴火の記念碑「新燃岳大噴火乃碑(2016年建立)」がある。
新燃岳大噴火乃碑を見たときに、「そう言えば、新燃岳の大噴火あったな~」と思い出した。
気になって立ち寄った狭野神社が、神武天皇と関わりのある神社で、霧島六社権現の一社だったので、立ち寄ってよかった。
上の写真の表参道に流れる小川とスギ、水神社が好きだ。
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