八幡総本宮 宇佐神宮

2023/08/05

宇佐神宮 国宝 重要文化財 神社仏閣 大分 日本の歴史 八幡神

 











宇佐(うさ)神宮




【所在地】


大分県宇佐市南宇佐


北参道鳥居








大鳥居








三ノ鳥居








宇佐鳥居






















【御祭神】


[一之御殿]

八幡大神(はちまんおおかみ)


〔脇侍社:春日神社〕

御祭神

天児屋根命(あめのこやねのみこと)



[二之御殿]

比売大神(ひめおおかみ)


〔脇侍社:北辰(ほくしん)神社〕

御祭神

造化三神

*天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、高御産巣日神(たかみむすひのかみ)、神産巣日神(かみむすひのかみ)



[三之御殿]

神功皇后(じんぐうこうごう)


〔脇侍社:住吉神社〕

御祭神

表筒男命(うわづつのおのみこと)

中筒男命(なかづつのおのみこと)

底筒男命(そこづつのおのみこと)

*神功皇后と由縁のある祭神を祀る、平野神社が合祀されている。


左から一之御殿、二之御殿、三之御殿








上宮西中門
















【八幡大神とは】


御名:誉田別尊(ほんだわけのみこと)


第15代・応神天皇。

神功皇后と第14代・仲哀天皇の子。




【比売大神とは】


御名:三女神(さんにょしん)


多岐津姫命(たぎつひめのみこと)

市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)

多岐理姫命(たきりひめのみこと)


この三女神を宗像三女神ともいう。

多岐津姫命→田心姫神

市杵島姫命→市杵島姫神〔弁財天〕

多岐理姫命→湍津姫神


宗像三女神についてはこちら⇩

『世界遺産 沖ノ島』

https://keipandkeip.blogspot.com/2022/01/blog-post_20.html




【神功皇后とは】


御名:息長帯姫命(おきながたらしひめのみこと)


父は第9代・開化天皇の玄孫の息長宿禰王(おきながのすくねのみこ)で、母は天之日矛(あめのひぼこ)の子孫である葛城高顙媛(かずらきのたかぬかひめ)とされるが、実在は謎。

江戸時代を通じて神功皇后は「仲哀気長足姫皇后」の名で15代天皇とされていた。

神功皇后が正式に天皇から外されたのは、大正15年の政府決定後のこと。

神功皇后は、宇佐の地を訪れている。




【由緒と歴史】


宇佐神宮のある豊前国宇佐の地は、神代の昔より筑紫の菟狭(うさ)の国の中心で、出雲や畿内のように早くから開けた場所だった。

宇佐神宮は、全国の八幡社の総本宮である。

全国の神社の約十一万社のなかで、四万六百社あまりが八幡神〔八幡さま〕。

次に、お稲荷さま、伊勢神宮の分社、天満宮という順になる。

八幡神が多くの人々に親しまれ、日本人に広まっていたことがうかがえる。

749年、東大寺の大仏造立の最中、金の調達ができず、工事が進まない中、聖武天皇の枕元に宇佐神宮に祀られた八幡神が現れ、神託を行っている。

聖武天皇の勅令により、宇佐の地から奈良へと神輿に乗った八幡神が入京し、八幡神が祀られるようになった。

なので、宇佐の地は神輿発祥の地で、早くから神仏習合をなしえた。

571年、応神天皇の神霊が、宇佐神宮の境内にある菱形池に、八幡神として現れ、*大神比義(おおがのひぎ)が祀ったのが創祀。

この時、八幡神を祀る社殿はまだ建っていない。

*菱形池に現れた八幡神は、全国を回り、各所に瑞兆を残した。

708年、八幡神は金色の鷹に化し、*駅館川(やっかんがわ)のほとりの松の木の上に現れる。

712年、駅館川のほとりの現在の*鷹居八幡神社に、大神比義と*辛島勝乙目(からしまのすぐりおとめ)が社殿を建てて祀る。

716年、「鷹居社は人の往来が激しいので小山田の林に遷りたい」という神託があり、現在の*小山田神社に遷座。

725年、「小山田社は狭いので亀山に遷りたい」という神託があり、現在の亀山〔小椋山〕に遷座。

この時、一之御殿を建て、八幡神を祀ったことが宇佐神宮の創建。

733年にニ之御殿が、823年に三之御殿が建てられ今の形式となった。

現在の本殿は、向かって左から一之御殿、ニ之御殿、三之御殿と並んでいる。

本殿は国宝。

ニ之御殿の前に申殿(もうしでん)があり、八幡造(はちまんづくり)の本殿がある。

八幡造は、2棟の建物を前後に連結させてひとつの社殿としたもの。

八幡造の特徴は、神様が昼は前殿、夜は奥殿に移動すること。


*駅館川:大分県宇佐市を流れる川。


*鷹居八幡神社:宇佐市上田。宇佐神宮の摂社。


*小山田神社:宇佐市小向野。


*菱形池、大神比義、辛島勝乙目については下で説明。


左の朱色の建物・申殿
朱色の建物の奥・二之御殿
右奥・三之御殿














【菱形池】


宇佐神宮境内のほぼ中央にある菱形池は、八幡神が最初に現れた場所。

つまり、神様が一番最初に現れた場所が菱形池である。

八幡宇佐宮御託宣集では、菱形池では数々の奇跡があり、大神比義が祈願すると3年、571年2月に八幡大神が御出現されたと記されている。

菱形池の側には、「御霊水」と呼ばれる3つの霊泉がある。

御霊水の奥には八角の影向石(ぎょうこういし)がある。

影向石には、八幡大神が神馬に乗って天翔た際にできた、馬蹄の跡が残っているといわれている。

御霊水は「御鍛冶場(おかじば)」とも呼ばれており、鍛冶の翁が現れたという古事もある。

神息(しんそく)という名前の*社僧が、御霊水の前に3つの井戸を掘り、八幡神の神威による水で社宝の刀「神息」を鍛えたといわれている。


*社僧:神仏習合の時代、宇佐宮に奉仕した僧侶。


菱形池








左奥・絵馬堂と右奥・能楽殿








御霊水








奥・影向石と3つの井戸








井戸の中

























【大神比義】


古墳時代の人物で、大神氏の祖。

宇佐八幡宮を創建。

日本で初めて神職に任じられ、宇佐八幡宮の初代大宮司となった。




【辛島勝乙目】


辛島氏は、飛鳥時代から奈良時代にかけて、宇佐神宮に仕える女*禰宜(めねぎ)や*祝(はふり)を務めた一族。

元々は*薦神社(こもじんじゃ)で神官やを巫女を務めていた。

辛島勝乙目は女性の祝(はふり)で、八幡神の神託を受け、大神比義とともに宇佐神宮の前身となる社を建立した。



*禰宜・祝:神社における神職の役職名。禰宜は神主の下。祝は禰宜の下。


*薦神社:大分県中津市。




【比売大神が降臨した宇佐嶋】


日本書紀〔巻第一・神代上〕の「天照大神と素戔嗚尊の誓約(うけい)」の項目には次のように記されている。


『日の神〔天照大神〕と素戔嗚尊は、天安河(あめのやすかわ)を隔てて、相対して誓約をした………。
そして、日の神が生んだ三柱の女神は、葦原中国(あしはらなかつくに)の宇佐嶋(うさしま)に降ろしました。
現在は北海路の途中にあり、道主貴(みちぬしのむち)と言います。
これは、筑紫の*水沼君(みぬまのきみ)などが祀る神です』


宇佐嶋は、奥宮の大元山(おもとさん)、または本宮のある亀山ともいわれている。

大元山は、宇佐神宮から東南約6㎞にそびえる山で、御許山(おもとさん)とも称される。

標高647mの御許山の山頂には、宇佐神宮の奥宮の大元(おおもと)神社が鎮座する。

大元神社には3つの巨石が祀られている。

これは、日本に古くからある自然崇拝の磐座(いわくら)信仰。

豪族・宇佐氏の磐座信仰からはじまり、後にやって来た辛島氏が比売大神を祀ったと思われる。

比売大神は、八幡神が現れる以前の古い神で、地主神として祀られていた。

祭祀は神代にはじまっており、*天三降命(あめのみくだりのみこと)の子孫の宇佐国造(うさのくにのみやつこ)が奉仕していた。



天照大神と素戔嗚尊の誓約の詳細はこちら⇩

『新田神社〜鹿児島県薩摩川内市』

https://keipandkeip.blogspot.com/2022/08/blog-post.html


*水沼君:古墳時代に現在の福岡県久留米市にいた九州を代表する豪族。現在は三瀦(みずま)郡や三瀦町として地名で残っている。


*天三降命:高御産巣日神の子。


上宮にある大元神社遥拝所








奥・大元山





 

【菟狭津彦と菟狭津媛】


日本書紀〔巻第三・神代上〕の神武天皇の東征の項目には次のように記されている。


『神武天皇が筑紫の国の菟狭〔宇佐〕にたどり着いた。
その時、菟狭国造の祖先の菟狭津彦(うさつひこ)と菟狭津媛(うさつひめ)が居た。
2人は菟狭の川上に一柱騰宮(あしひとつあがりのみや)を造り、神武天皇にご馳走を振る舞い、おもてなしをした。
この時、神武天皇は*勅(みことのり)して、菟狭津媛を従臣の天種子命(あまのたねこのみこと)と結婚させた。
天種子命は、中臣氏〔のちの藤原氏〕の遠い祖先である』


神武天皇の東征の時に、日向(ひゅうが)から奈良の橿原(かしわばら)に向かう神武天皇の船団が、宇佐に立ち寄った話である。

宇佐国造が宇佐の地にとどまったのは、神武天皇の東征の時である。

宇佐神宮が朝廷とを結ぶきっかけとなったのは、国造の妹・菟狭津媛と中臣氏の祖・天種子命との結婚が縁となっている。


*勅:天皇の命令。




【神武天皇をもてなした一柱騰宮】


一柱騰宮が伝承として宇佐市内に3ヶ所ある。


・宇佐神宮の呉橋の南の高台

この一帯は騰隈(とうのくま)と呼ばれている。


・和尚山(かしょうざん)

宇佐市上拝田。立花池の側。


・妻垣(つまがけ)神宮 

宇佐市安心院町。


呉橋の南の一柱騰宮

【謎に満ちた宇佐神宮】


ここまで読んでみると、「結局、宇佐神宮は何を祀っているの?」となるだろう。

宇佐神宮について、次の本にこのように書いてある。


関 裕二
『神社仏閣に隠された古代史の謎』
(徳間書店、2008年、P219〜224)


以下、【引用した部分のタイトルとページ数】を記載。




【八幡神は応神天皇ではない?p220】


宇佐八幡宮(神宮)の信仰形態には、強烈なまでに「渡来系の匂いが強い」ということなのである。
しかもそれは朝鮮半島南部の新羅の文化である。
宇佐神宮の周辺が「隋書(ずいしょ)」の中で「秦王国(しんおうこく)」と呼ばれていたことはつとに名高い。
渡来系豪族秦(はた)氏が、この一帯に強い影響力を持っていて、しかも人口の90%を秦氏系が占める地域もあった。
彼らは朝鮮半島と盛んに往来し、先進の文化をこの地にもたらしたのだろう。
このような環境にあったから、豊国の宇佐では、われわれが一般に思い描くような「神道」ではなく、異国情緒漂う独自の信仰が発達していったと考えられる。
そして問題は、「宇佐の八幡神といえば、応神天皇」という単純なくくり方は、通用しないということなのである。
宇佐神宮の祭神は八幡大神、比売大神、大帯姫命(おおたらしひめのみこと)で、それぞれが「日本書紀」でいうところの応神天皇、宗像三神、神功皇后と一般的に考えられている。
だが、通説は、この考えをとらない。
宇佐神宮の信仰は、元々は背後の御許山(おもとやま)を神体山とする原始的で土着の人びとのものだった。
そこに秦氏らが大陸的な信仰を持ち込み、独自の発展を遂げ、最後の最後に、中央政府の影響力がおよび、誉田別命(応神天皇)や息長帯姫命(神功皇后)が、かぶさっていったというわけである。
つまり、原始的な八幡信仰(母子信仰)がまずあって、そこに神功皇后と応神天皇の母子の物語が、ぴったりと重なっていったのだろうとする。




【放生会】


放生会(ほうじょうえ)という八幡宮の祭りがある。

福岡県などでは「放生会」を「ほくじょうや」という。

古代インドに起源を持つ放生会は、捕獲した魚・鳥・獣などの動物を野に放ち、殺生を戒める宗教儀式で、中国や日本にも伝えられた。

日本で放生会が行われたきっかけは、720年、隼人の乱が勃発し、朝廷はこれを鎮圧しようと、宇佐八幡に神託を仰いだ。

すると、八幡神は、「我(われ)征(ゆ)きて降(くだ)し伏(おろ)すべし」と自ら討伐に赴いた。

この時、多数の隼人が殺されたため、隼人の霊を慰めるために放生会が行われることになった。

社伝では、多数の隼人が殺され、その首を持ち帰り、宇佐西方の*凶首塚に葬った。

その後、農作物に貝虫の被害が続き、凶作になった。

困った農民は、「これは隼人の祟りだ」と思い、年に一度、蜷貝(にながい)を海に放生し、隼人の霊を慰めた。

これが放生会の祭りの始まりと伝えられている。

隼人の御霊は、*百体(ひゃくたい)神社に祀られている。



隼人の乱の詳細はこちら、【正当な八幡神は鹿児島にいる?】に書いています⇩

『鹿児島神宮』

https://keipandkeip.blogspot.com/2022/08/blog-post_28.html


*凶首塚:宇佐市北宇佐にある凶首塚古墳。この古墳は、反乱以前から存在しているそうだ。


*百体神社:宇佐市南宇佐にある宇佐神宮の末社。




【下宮】


[御祭神]

一之御殿:八幡大神

ニ之御殿:比売大神

三之御殿:神功皇后


下宮は、810〜824年に第52代・嵯峨天皇の勅願によって創建された。

下宮は古くから御炊宮(みけみや)ともいわれ、農業と関係が深い。

*御饌(みけ)を司り、国民一般の祈願や報賽(ほうさい)が行われて来た場所。

一之御殿には、大神比義の御霊を祀る、大神祖(おおがそ)神社が合祀されている。


*御饌:神または天皇にさし上げる食料。


下宮へと続く鳥居








下宮へと続く門








下宮








下宮から上宮へと向かう道






















【南中楼門と善神王神社】


南中楼門(なんちゅうろうもん)は、勅使門(ちょくしもん)で、二之御殿の拝殿と一緒になっている。

勅使門とは、天皇や勅使が訪れた際に開門する門なので、通常は開かずの門。

勅使門を守る神として、高良大明神〔西随神〕と阿蘇大明神〔東随神〕の二神を祀り、善神王(ぜじんのう)神社が祀られている。













【大楠】


上宮にある御神木の大楠。





【頓宮と宇佐祖神社】


頓宮(とんぐう)は、毎年夏の神幸祭に、宇佐神宮の御祭神である三神を3基の神輿にのせ、上宮から頓宮に向かい練り歩く。

神幸祭の間、神々は、頓宮に2泊3日滞在する。

神霊を神輿から頓宮に遷した宮司以下の神職は、頓宮での祭典の前に、他社では見られない菅貫神事(すがぬきしんじ)という、宇佐神宮独特の禊の行事を行う。

菟狭津彦を祀る、宇佐祖(うさそ)神社が合祀されている。













【手水舎】


山口県の徳山みかげを使用し、国産の御影石では日本最大の日本一の水盤。





























【祓戸(はらえど)】


勅使奉幣祭や大祓式などの祭典の払(はらい)の儀を行う場所。





















【呉橋】


西参道にある神橋。

呉の国の人が掛けたともいわれているので、この名がついた。

宇佐神宮の神域を流れる寄藻(よりも)川にある。

呉橋から川上を寄藻川〔呉橋川〕、呉橋から表参道の神橋までを月瀬川、神橋から神社の境域付近を浅瀬川と呼ぶ。

寄藻川の水源は大元山の南に、流れの末端は放生会が行われる和間(わま)の浜で、周防灘(しゅうおうなだ)に注いでいる。













【摂末社】


[黒男(くろお)神社]


御祭神

武内宿禰(たけのうちのすくね)


武内宿禰についてはこちら⇩

『武内宿禰と高良大社』

https://keipandkeip.blogspot.com/2021/08/blog-post_22.html













[春宮(とうぐう)神社]


御祭神

菟道稚郎子命(うじのわきのいらつこのみこと)


応神天皇の御子。

皇太子として勉学に励み寵愛されていた。

兄の大鷦鷯命(おおささぎのみこと)に皇太子を譲る。

東宮ではなく、春宮と記されている。













[若宮神社]


御祭神

・大鷦鷯命〔第16代・仁徳天皇〕

・大葉枝皇子(おおばえのみこ)

・小葉枝皇子(こばえのみこ)

・隼総別皇子(はやぶさわけのみこ)

・雌鳥皇女(めどりのひめみこ)


仁徳天皇と仁徳天皇の異母兄弟が祀られている。

824年7月に神託があり、852年に造宮使(ぞうぐうし)を派遣して祀られた。

国指定重要文化財。













[八子(やこ)神社]


御祭神

応神天皇の八王子神


社殿はなく、上宮・西回路の西端にある玉垣内の神木・楠木に鎮座。





[亀山神社]


御祭神

大山積命(おおやまづみのみこと)


上宮が鎮座されている小椋山は亀山ともいい、亀山の山神を祀る。

古代より明治まで、亀の甲羅を使った亀卜(きぼく)という占いが行われており、その時に使用した甲羅を亀山神社に埋葬したといわれている。













[水分(みくまり)神社]


御祭神

水分五神


御霊水前にある菱形池の小島に鎮座。

水を司る神。

高龗神(たかおかみのかみ)、天水分神(あめのみくまりのかみ)、国水分神(くにのみくまりのかみ)、天汲匏持神(あまのくひざもちのかみ)、国汲匏持神(くにのくひざもちのかみ)の五神を祀る。













[八坂神社]


御祭神

須佐之男命(すさのおのみこと)


天照大神を祀る養蚕神社が合祀されている。

西側にはかつての神宮寺・弥勒寺の旧跡がある。






















【弥勒寺跡と神仏習合の歴史】


八幡大神が亀山に遷座した725年、東に弥勒禅院を建立。

737年、弥勒禅院を境内の西に移し、弥勒寺を建立。

弥勒寺の初代の別当〔長官〕は法蓮。

現在の神社庁などがある表参道の西側は、弥勒寺の境内だった。

弥勒寺の側にはいくつかの神社がひっそりとたたずむ。


弥勒寺跡



































【八幡宮の大社の一覧】


・柞原(ゆすはら)八幡宮

〔大分県大分市〕


・藤崎八旛宮(ふじさきはちまんぐう)

〔熊本県熊本市〕


・千栗(ちりく)八幡宮

〔佐賀県三養基(みやき)郡〕


・筥崎宮(はこざきぐう)

〔福岡県福岡市〕


・香椎宮(かしいぐう)

〔福岡県福岡市〕


・石清水(いわしみず)八幡宮

〔京都府八幡市〕


・鶴岡(つるがおか)八幡宮

〔神奈川県鎌倉市〕


・函館八幡宮

〔北海道函館市〕




【おわりに】


宇佐神宮は敷地面積が物凄く広い。

境内は全部回ったつもりだったが、参拝を忘れた場所が2箇所あった。

宇佐神宮はお気に入りの神社だ。

と言っても、何年かに一度訪れる程度で、夏に訪れることが多い。

そして、毎回不思議なことが起きる。

夏だと、鳥居に入った瞬間、拝殿に立った瞬間、菱形池を訪れた瞬間に、蝉がいっせいに鳴き出し、蝉が鳴き出した側の神社で参拝が終わると急に鳴き止む。

どこに蝉の大群がいるのだろう?というくらい、大音量の蝉の鳴き声に、耳がおかしくなる。

今回は、大鳥居、黒男神社、水分神社の側で蝉が鳴き出した。

そして、不思議なくらいにピタッと鳴き止む。

黒男神社で参拝すると、「八柱、八王子」なんて文字が見えたが、八子神社のことを伝えていたのだろう。

上宮にある八子神社を見た時、「ここのことを伝えていたのか。ここに八子神社なんてあったっけ?」と思った。

宇佐神宮は何度も訪れているが、毎回、八子神社は気付かずにスルーしていたかもしれない。

八子神社が何だったのだろうか?謎。

この日は雨の予報で、宇佐神宮まで車で移動中ずっと雨だったが、宇佐神宮に着くと晴れた。

写真が白っぽくなっているのは、雨で湿った土から水蒸気が立ち上っていたからだ。

3時間くらい滞在して、宇佐神宮を出ると、激しい雨が降って来た。

宇佐神宮の境内は自然豊かでとても好きだ。

特に菱形池が好きで、ブログのプロフィールの写真は、10年前に、水分神社から菱形池と御霊水を撮影したものだ。

カメラを菱形池に向けると、緑・白・紫の光が飛び出して、その光が御霊水に広がったのを今でも覚えている。

御霊水の小道を挟んだ前に生えている龍のような木が大好きだ。

この木は菱形池の方に伸びており、まるで水分神社に向かって伸びているようだ。


赤い鳥居の御霊水と龍のような木








朱色の柵の前が龍のような木。
石橋の先に水分神社がある。









以前は、この木の上を歩き、木の真ん中まで行って、座って池を眺めるのが好きだったが、今は行き止まりになっている。

宇佐市は見所がたくさんある。

非常に興味深かったのが、鬼のミイラだった。

宇佐市大字四日市の十宝山大乗院に鬼のミイラは祀られている。

撮影禁止のため写真は撮れなかったが、ツノが生えた少し首の長い鬼だった。

鬼なのか?ツノあるし鬼だよね?とても気になって、ずっと鬼のミイラを眺めた。