宇佐(うさ)神宮
【所在地】
大分県宇佐市南宇佐
北参道鳥居 |
大鳥居 |
三ノ鳥居 |
宇佐鳥居 |
【御祭神】
[一之御殿]
八幡大神(はちまんおおかみ)
〔脇侍社:春日神社〕
御祭神
天児屋根命(あめのこやねのみこと)
[二之御殿]
比売大神(ひめおおかみ)
〔脇侍社:北辰(ほくしん)神社〕
御祭神
造化三神
*天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、高御産巣日神(たかみむすひのかみ)、神産巣日神(かみむすひのかみ)
[三之御殿]
神功皇后(じんぐうこうごう)
〔脇侍社:住吉神社〕
御祭神
表筒男命(うわづつのおのみこと)
中筒男命(なかづつのおのみこと)
底筒男命(そこづつのおのみこと)
*神功皇后と由縁のある祭神を祀る、平野神社が合祀されている。
左から一之御殿、二之御殿、三之御殿 |
上宮西中門 |
【八幡大神とは】
御名:誉田別尊(ほんだわけのみこと)
第15代・応神天皇。
神功皇后と第14代・仲哀天皇の子。
【比売大神とは】
御名:三女神(さんにょしん)
多岐津姫命(たぎつひめのみこと)
市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)
多岐理姫命(たきりひめのみこと)
この三女神を宗像三女神ともいう。
多岐津姫命→田心姫神
市杵島姫命→市杵島姫神〔弁財天〕
多岐理姫命→湍津姫神
宗像三女神についてはこちら⇩
『世界遺産 沖ノ島』
https://keipandkeip.blogspot.com/2022/01/blog-post_20.html
【神功皇后とは】
御名:息長帯姫命(おきながたらしひめのみこと)
父は第9代・開化天皇の玄孫の息長宿禰王(おきながのすくねのみこ)で、母は天之日矛(あめのひぼこ)の子孫である葛城高顙媛(かずらきのたかぬかひめ)とされるが、実在は謎。
江戸時代を通じて神功皇后は「仲哀気長足姫皇后」の名で15代天皇とされていた。
神功皇后が正式に天皇から外されたのは、大正15年の政府決定後のこと。
神功皇后は、宇佐の地を訪れている。
【由緒と歴史】
宇佐神宮のある豊前国宇佐の地は、神代の昔より筑紫の菟狭(うさ)の国の中心で、出雲や畿内のように早くから開けた場所だった。
宇佐神宮は、全国の八幡社の総本宮である。
全国の神社の約十一万社のなかで、四万六百社あまりが八幡神〔八幡さま〕。
次に、お稲荷さま、伊勢神宮の分社、天満宮という順になる。
八幡神が多くの人々に親しまれ、日本人に広まっていたことがうかがえる。
749年、東大寺の大仏造立の最中、金の調達ができず、工事が進まない中、聖武天皇の枕元に宇佐神宮に祀られた八幡神が現れ、神託を行っている。
聖武天皇の勅令により、宇佐の地から奈良へと神輿に乗った八幡神が入京し、八幡神が祀られるようになった。
なので、宇佐の地は神輿発祥の地で、早くから神仏習合をなしえた。
571年、応神天皇の神霊が、宇佐神宮の境内にある菱形池に、八幡神として現れ、*大神比義(おおがのひぎ)が祀ったのが創祀。
この時、八幡神を祀る社殿はまだ建っていない。
*菱形池に現れた八幡神は、全国を回り、各所に瑞兆を残した。
708年、八幡神は金色の鷹に化し、*駅館川(やっかんがわ)のほとりの松の木の上に現れる。
712年、駅館川のほとりの現在の*鷹居八幡神社に、大神比義と*辛島勝乙目(からしまのすぐりおとめ)が社殿を建てて祀る。
716年、「鷹居社は人の往来が激しいので小山田の林に遷りたい」という神託があり、現在の*小山田神社に遷座。
725年、「小山田社は狭いので亀山に遷りたい」という神託があり、現在の亀山〔小椋山〕に遷座。
この時、一之御殿を建て、八幡神を祀ったことが宇佐神宮の創建。
733年にニ之御殿が、823年に三之御殿が建てられ今の形式となった。
現在の本殿は、向かって左から一之御殿、ニ之御殿、三之御殿と並んでいる。
本殿は国宝。
ニ之御殿の前に申殿(もうしでん)があり、八幡造(はちまんづくり)の本殿がある。
八幡造は、2棟の建物を前後に連結させてひとつの社殿としたもの。
八幡造の特徴は、神様が昼は前殿、夜は奥殿に移動すること。
*駅館川:大分県宇佐市を流れる川。
*鷹居八幡神社:宇佐市上田。宇佐神宮の摂社。
*小山田神社:宇佐市小向野。
*菱形池、大神比義、辛島勝乙目については下で説明。
左の朱色の建物・申殿 朱色の建物の奥・二之御殿 右奥・三之御殿 |
【菱形池】
宇佐神宮境内のほぼ中央にある菱形池は、八幡神が最初に現れた場所。
つまり、神様が一番最初に現れた場所が菱形池である。
八幡宇佐宮御託宣集では、菱形池では数々の奇跡があり、大神比義が祈願すると3年、571年2月に八幡大神が御出現されたと記されている。
菱形池の側には、「御霊水」と呼ばれる3つの霊泉がある。
御霊水の奥には八角の影向石(ぎょうこういし)がある。
影向石には、八幡大神が神馬に乗って天翔た際にできた、馬蹄の跡が残っているといわれている。
御霊水は「御鍛冶場(おかじば)」とも呼ばれており、鍛冶の翁が現れたという古事もある。
神息(しんそく)という名前の*社僧が、御霊水の前に3つの井戸を掘り、八幡神の神威による水で社宝の刀「神息」を鍛えたといわれている。
*社僧:神仏習合の時代、宇佐宮に奉仕した僧侶。
菱形池 |
左奥・絵馬堂と右奥・能楽殿 |
御霊水 |
奥・影向石と3つの井戸 |
井戸の中 |
【大神比義】
古墳時代の人物で、大神氏の祖。
宇佐八幡宮を創建。
日本で初めて神職に任じられ、宇佐八幡宮の初代大宮司となった。
【辛島勝乙目】
辛島氏は、飛鳥時代から奈良時代にかけて、宇佐神宮に仕える女*禰宜(めねぎ)や*祝(はふり)を務めた一族。
元々は*薦神社(こもじんじゃ)で神官やを巫女を務めていた。
辛島勝乙目は女性の祝(はふり)で、八幡神の神託を受け、大神比義とともに宇佐神宮の前身となる社を建立した。
*薦神社:大分県中津市。
【比売大神が降臨した宇佐嶋】
日本書紀〔巻第一・神代上〕の「天照大神と素戔嗚尊の誓約(うけい)」の項目には次のように記されている。
大元山は、宇佐神宮から東南約6㎞にそびえる山で、御許山(おもとさん)とも称される。
標高647mの御許山の山頂には、宇佐神宮の奥宮の大元(おおもと)神社が鎮座する。
大元神社には3つの巨石が祀られている。
これは、日本に古くからある自然崇拝の磐座(いわくら)信仰。
豪族・宇佐氏の磐座信仰からはじまり、後にやって来た辛島氏が比売大神を祀ったと思われる。
比売大神は、八幡神が現れる以前の古い神で、地主神として祀られていた。
祭祀は神代にはじまっており、*天三降命(あめのみくだりのみこと)の子孫の宇佐国造(うさのくにのみやつこ)が奉仕していた。
天照大神と素戔嗚尊の誓約の詳細はこちら⇩
『新田神社〜鹿児島県薩摩川内市』
https://keipandkeip.blogspot.com/2022/08/blog-post.html
*水沼君:古墳時代に現在の福岡県久留米市にいた九州を代表する豪族。現在は三瀦(みずま)郡や三瀦町として地名で残っている。
*天三降命:高御産巣日神の子。
上宮にある大元神社遥拝所 |
奥・大元山 |
【菟狭津彦と菟狭津媛】
日本書紀〔巻第三・神代上〕の神武天皇の東征の項目には次のように記されている。
神武天皇の東征の時に、日向(ひゅうが)から奈良の橿原(かしわばら)に向かう神武天皇の船団が、宇佐に立ち寄った話である。
宇佐国造が宇佐の地にとどまったのは、神武天皇の東征の時である。
宇佐神宮が朝廷とを結ぶきっかけとなったのは、国造の妹・菟狭津媛と中臣氏の祖・天種子命との結婚が縁となっている。
*勅:天皇の命令。
【神武天皇をもてなした一柱騰宮】
一柱騰宮が伝承として宇佐市内に3ヶ所ある。
・宇佐神宮の呉橋の南の高台
この一帯は騰隈(とうのくま)と呼ばれている。
・和尚山(かしょうざん)
宇佐市上拝田。立花池の側。
・妻垣(つまがけ)神宮
宇佐市安心院町。
呉橋の南の一柱騰宮 |
【謎に満ちた宇佐神宮】
ここまで読んでみると、「結局、宇佐神宮は何を祀っているの?」となるだろう。
宇佐神宮について、次の本にこのように書いてある。
以下、【引用した部分のタイトルとページ数】を記載。
【八幡神は応神天皇ではない?p220】
【放生会】
放生会(ほうじょうえ)という八幡宮の祭りがある。
福岡県などでは「放生会」を「ほくじょうや」という。
古代インドに起源を持つ放生会は、捕獲した魚・鳥・獣などの動物を野に放ち、殺生を戒める宗教儀式で、中国や日本にも伝えられた。
日本で放生会が行われたきっかけは、720年、隼人の乱が勃発し、朝廷はこれを鎮圧しようと、宇佐八幡に神託を仰いだ。
すると、八幡神は、「我(われ)征(ゆ)きて降(くだ)し伏(おろ)すべし」と自ら討伐に赴いた。
この時、多数の隼人が殺されたため、隼人の霊を慰めるために放生会が行われることになった。
社伝では、多数の隼人が殺され、その首を持ち帰り、宇佐西方の*凶首塚に葬った。
その後、農作物に貝虫の被害が続き、凶作になった。
困った農民は、「これは隼人の祟りだ」と思い、年に一度、蜷貝(にながい)を海に放生し、隼人の霊を慰めた。
これが放生会の祭りの始まりと伝えられている。
隼人の御霊は、*百体(ひゃくたい)神社に祀られている。
隼人の乱の詳細はこちら、【正当な八幡神は鹿児島にいる?】に書いています⇩
『鹿児島神宮』
https://keipandkeip.blogspot.com/2022/08/blog-post_28.html
*凶首塚:宇佐市北宇佐にある凶首塚古墳。この古墳は、反乱以前から存在しているそうだ。
*百体神社:宇佐市南宇佐にある宇佐神宮の末社。
【下宮】
[御祭神]
一之御殿:八幡大神
ニ之御殿:比売大神
三之御殿:神功皇后
下宮は、810〜824年に第52代・嵯峨天皇の勅願によって創建された。
下宮は古くから御炊宮(みけみや)ともいわれ、農業と関係が深い。
*御饌(みけ)を司り、国民一般の祈願や報賽(ほうさい)が行われて来た場所。
一之御殿には、大神比義の御霊を祀る、大神祖(おおがそ)神社が合祀されている。
*御饌:神または天皇にさし上げる食料。
下宮へと続く鳥居 |
下宮へと続く門 |
下宮 |
下宮から上宮へと向かう道 |
【南中楼門と善神王神社】
南中楼門(なんちゅうろうもん)は、勅使門(ちょくしもん)で、二之御殿の拝殿と一緒になっている。
勅使門とは、天皇や勅使が訪れた際に開門する門なので、通常は開かずの門。
【大楠】
上宮にある御神木の大楠。
【頓宮と宇佐祖神社】
頓宮(とんぐう)は、毎年夏の神幸祭に、宇佐神宮の御祭神である三神を3基の神輿にのせ、上宮から頓宮に向かい練り歩く。
神幸祭の間、神々は、頓宮に2泊3日滞在する。
神霊を神輿から頓宮に遷した宮司以下の神職は、頓宮での祭典の前に、他社では見られない菅貫神事(すがぬきしんじ)という、宇佐神宮独特の禊の行事を行う。
菟狭津彦を祀る、宇佐祖(うさそ)神社が合祀されている。
【手水舎】
山口県の徳山みかげを使用し、国産の御影石では日本最大の日本一の水盤。
【祓戸(はらえど)】
勅使奉幣祭や大祓式などの祭典の払(はらい)の儀を行う場所。
【呉橋】
西参道にある神橋。
呉の国の人が掛けたともいわれているので、この名がついた。
宇佐神宮の神域を流れる寄藻(よりも)川にある。
呉橋から川上を寄藻川〔呉橋川〕、呉橋から表参道の神橋までを月瀬川、神橋から神社の境域付近を浅瀬川と呼ぶ。
寄藻川の水源は大元山の南に、流れの末端は放生会が行われる和間(わま)の浜で、周防灘(しゅうおうなだ)に注いでいる。
【摂末社】
[黒男(くろお)神社]
御祭神
武内宿禰(たけのうちのすくね)
武内宿禰についてはこちら⇩
『武内宿禰と高良大社』
https://keipandkeip.blogspot.com/2021/08/blog-post_22.html
[春宮(とうぐう)神社]
御祭神
菟道稚郎子命(うじのわきのいらつこのみこと)
応神天皇の御子。
皇太子として勉学に励み寵愛されていた。
兄の大鷦鷯命(おおささぎのみこと)に皇太子を譲る。
東宮ではなく、春宮と記されている。
[若宮神社]
御祭神
・大鷦鷯命〔第16代・仁徳天皇〕
・大葉枝皇子(おおばえのみこ)
・小葉枝皇子(こばえのみこ)
・隼総別皇子(はやぶさわけのみこ)
・雌鳥皇女(めどりのひめみこ)
仁徳天皇と仁徳天皇の異母兄弟が祀られている。
824年7月に神託があり、852年に造宮使(ぞうぐうし)を派遣して祀られた。
国指定重要文化財。
[八子(やこ)神社]
御祭神
応神天皇の八王子神
社殿はなく、上宮・西回路の西端にある玉垣内の神木・楠木に鎮座。
[亀山神社]
御祭神
大山積命(おおやまづみのみこと)
上宮が鎮座されている小椋山は亀山ともいい、亀山の山神を祀る。
古代より明治まで、亀の甲羅を使った亀卜(きぼく)という占いが行われており、その時に使用した甲羅を亀山神社に埋葬したといわれている。
[水分(みくまり)神社]
御祭神
水分五神
御霊水前にある菱形池の小島に鎮座。
水を司る神。
高龗神(たかおかみのかみ)、天水分神(あめのみくまりのかみ)、国水分神(くにのみくまりのかみ)、天汲匏持神(あまのくひざもちのかみ)、国汲匏持神(くにのくひざもちのかみ)の五神を祀る。
[八坂神社]
御祭神
須佐之男命(すさのおのみこと)
天照大神を祀る養蚕神社が合祀されている。
西側にはかつての神宮寺・弥勒寺の旧跡がある。
【弥勒寺跡と神仏習合の歴史】
八幡大神が亀山に遷座した725年、東に弥勒禅院を建立。
737年、弥勒禅院を境内の西に移し、弥勒寺を建立。
弥勒寺の初代の別当〔長官〕は法蓮。
現在の神社庁などがある表参道の西側は、弥勒寺の境内だった。
弥勒寺の側にはいくつかの神社がひっそりとたたずむ。
弥勒寺跡 |
【八幡宮の大社の一覧】
・柞原(ゆすはら)八幡宮
〔大分県大分市〕
・藤崎八旛宮(ふじさきはちまんぐう)
〔熊本県熊本市〕
・千栗(ちりく)八幡宮
〔佐賀県三養基(みやき)郡〕
・筥崎宮(はこざきぐう)
〔福岡県福岡市〕
・香椎宮(かしいぐう)
〔福岡県福岡市〕
・石清水(いわしみず)八幡宮
〔京都府八幡市〕
・鶴岡(つるがおか)八幡宮
〔神奈川県鎌倉市〕
・函館八幡宮
〔北海道函館市〕
【おわりに】
宇佐神宮は敷地面積が物凄く広い。
境内は全部回ったつもりだったが、参拝を忘れた場所が2箇所あった。
宇佐神宮はお気に入りの神社だ。
と言っても、何年かに一度訪れる程度で、夏に訪れることが多い。
そして、毎回不思議なことが起きる。
夏だと、鳥居に入った瞬間、拝殿に立った瞬間、菱形池を訪れた瞬間に、蝉がいっせいに鳴き出し、蝉が鳴き出した側の神社で参拝が終わると急に鳴き止む。
どこに蝉の大群がいるのだろう?というくらい、大音量の蝉の鳴き声に、耳がおかしくなる。
今回は、大鳥居、黒男神社、水分神社の側で蝉が鳴き出した。
そして、不思議なくらいにピタッと鳴き止む。
黒男神社で参拝すると、「八柱、八王子」なんて文字が見えたが、八子神社のことを伝えていたのだろう。
上宮にある八子神社を見た時、「ここのことを伝えていたのか。ここに八子神社なんてあったっけ?」と思った。
宇佐神宮は何度も訪れているが、毎回、八子神社は気付かずにスルーしていたかもしれない。
八子神社が何だったのだろうか?謎。
この日は雨の予報で、宇佐神宮まで車で移動中ずっと雨だったが、宇佐神宮に着くと晴れた。
写真が白っぽくなっているのは、雨で湿った土から水蒸気が立ち上っていたからだ。
3時間くらい滞在して、宇佐神宮を出ると、激しい雨が降って来た。
宇佐神宮の境内は自然豊かでとても好きだ。
特に菱形池が好きで、ブログのプロフィールの写真は、10年前に、水分神社から菱形池と御霊水を撮影したものだ。
カメラを菱形池に向けると、緑・白・紫の光が飛び出して、その光が御霊水に広がったのを今でも覚えている。
御霊水の小道を挟んだ前に生えている龍のような木が大好きだ。
この木は菱形池の方に伸びており、まるで水分神社に向かって伸びているようだ。
赤い鳥居の御霊水と龍のような木 |
朱色の柵の前が龍のような木。 石橋の先に水分神社がある。 |
以前は、この木の上を歩き、木の真ん中まで行って、座って池を眺めるのが好きだったが、今は行き止まりになっている。
宇佐市は見所がたくさんある。非常に興味深かったのが、鬼のミイラだった。
宇佐市大字四日市の十宝山大乗院に鬼のミイラは祀られている。
撮影禁止のため写真は撮れなかったが、ツノが生えた少し首の長い鬼だった。
鬼なのか?ツノあるし鬼だよね?とても気になって、ずっと鬼のミイラを眺めた。
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