武雄神社(たけおじんじゃ)
【御祭神】
[主祭神]
武内宿禰(たけのうちのすくね)
[相殿神]
*武雄心命(たけおこころのみこと)
*仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)
神功皇后(じんぐうこうごう)
*応神天皇(おうじんてんのう)
*武雄心命:武内宿禰の父。
*仲哀天皇:第14代天皇。神功皇后の夫。
*応神天皇:第15代天皇。仲哀天皇と神功皇后の子。
武内宿禰の詳細はこちら⇩
『武内宿禰と高良大社〜福岡県久留米市』
https://keipandkeip.blogspot.com/2021/08/blog-post_22.html
神功皇后・武内宿禰と関連するブログ記事⇩
『八阪神社と不思議な狛犬〜佐賀県西松浦郡有田町』
https://keipandkeip.blogspot.com/2022/06/blog-post.html
『生田神社〜兵庫県神戸市中央区』
https://keipandkeip.blogspot.com/2023/03/blog-post.html
『長田神社〜兵庫県神戸市長田区』
https://keipandkeip.blogspot.com/2023/04/blog-post.html
『五色塚古墳と小壺古墳』
https://keipandkeip.blogspot.com/2023/05/blog-post.html
【所在地】
佐賀県武雄市。
武雄市の中央部、御船山(みふねやま)の東麓に鎮座。
御船山 |
【由緒と歴史】
23代神主・伴信門(ともののぶかど)が1661〜1673年前後に編纂した「武雄社本紀」によると、
神功皇后が三韓征伐の帰り、武雄に軍船を止め、それが御船山になった。
これに同行していた武内宿禰と住吉三神が御船山の南嶽に鎮座し、創建された。
創始は古く不明。
初代宮司・伴行頼(とものゆきより)に次のような神託があった。
「私は武内大臣(たけのうちのおおみな)。昔、神功皇后が朝鮮の新羅(しらぎ)を征した時に、一緒に同行していた者である。御船山の南嶽に住吉三神と一緒に祀られているのだが、畏れ多くて落ち着かない。北麓に私を祀るならば、この地に末永く幸福が訪れるであろう」
神託を受けた伴行頼は、太宰府を通じて朝廷に要望。
735年、旧暦1月17日、南嶽にあった祠を、北麓に建てた神殿に移す。
武内宿禰・仲哀天皇・神功皇后・応神天皇・武雄心命を合祀した。
神前に、猪牝牡(ししひんぼ)2頭、野兎1羽、*鵠鳥(くぐい)2羽をお供えし、『遷座祭』が行われた。
祭典後は、本殿の鬼門(北東)に大的を設け、宮司が6本*奉射(ぶしゃ)した。
と記されている。
*奉射(ぶしゃ)
神前で大的を射ること。
古来より弓術は神事の一つ。
*鵠鳥(くぐい)
白鳥の古名。
鵠(こく)には、弓の的の中央にある黒い星の意味がある。
白鳥は、日本では宮城県〜島根県辺りで越冬する。
600〜750年頃の日本の気候は寒冷化しており、佐賀にも白鳥が生息していてもおかしくない。
現在、佐賀県でも稀に白鳥が目撃されることがある。
*三韓征伐、神功皇后、住吉三神の話の詳細は、前述の『八阪神社と不思議な狛犬〜佐賀県有田町』のブログ記事に掲載。
【歩射祭(びしゃまつり)】
日時:2月17日、14時
1200年以上も受け継がれている、佐賀県最古の神事。
裏鬼門(南西)に矢を放ち、邪気を祓う。
五穀豊穣を祈り、一年の吉凶を占う。
前述の735年の『遷座祭』が起源。
【歩射祭の流れ】
猪や兎を神殿にお供えする神事が本殿で行われる。
天に向かって*蟇目鏑(ひきめかぶら)を奉射する、蟇目の儀が行われる。
氏子2名が裏鬼門(南西)に設けた大的に奉射する、放射の儀が行われる。
お供えした猪は天平汁にして参拝者に振る舞われ、兎の毛は抜き取って御守として授与される。*蟇目鏑(ひきめかぶら)
蟇目とは、矢の先に鏃を付けず、木製の鏑を付けたもの。
鏑とは、矢の先に付け、矢が飛ぶと鳴るようにしたもの。
蟇目鏑を射ると、音を発するため、魔を退散させるとされている。
【武雄神社文書(たけおじんじゃもんじょ)】
武雄神社に伝わる平安時代中期〜室町時代末期の古文書。
元々は218通の文書だったが、保存修理を行って現在25巻の巻物となっている。
九州地区の地方行政機関「太宰府(だざいふ)」の府社とされ、祭礼に国使が赴いたことなどを裏付ける内容が記されている。
四至実検状(しいじっけんじょう)とよばれる古文書は、武雄神社文書の中で最も古く、佐賀県最古の古文書である。
四至実検状は、 951年2月の武雄神社の社域の検分書のことで、武雄神社宮司と7人の太宰府使の花押があり、地方と中央の関係を知ることができる。
現在、佐賀県立図書館に寄託されている。
【武雄の大楠】
樹齢3000年の御神木。
日本大6位の巨樹。
根元の部分は約12畳の広さの空洞になっており、天神の石祠が祀られている。
社殿から150m離れた場所にある。
柵がしてあり、近くまで行くことはできない。
武雄の大楠 |
大楠へと続くもみじ通り |
【夫婦檜(めおとひのき)】
縁結びの御神木。
2本の檜が、根元と樹の中間で結合している。
縁結びの願掛けの鈴が、鈴緒にたくさん付けられている。
【摂末社】
[荒神社]
「荒神さん」で馴染み深い、火・竈・台所の神。
[塩釜神社・城山稲荷神社]
塩釜神社と城山稲荷神社を合わせて祀っている。
塩釜神社は、宮城県の塩竈神社より、塩土老翁神(しおつちおじのかみ)・武甕槌神(たけみかづちのかみ)・経津主神(ふつぬしのかみ)を勧請。
城山稲荷神社は、京都府の伏見稲荷大社より、倉稲魂神(うがのみたまのかみ)・猿田彦命(さるたひこのみこと)・大宮女命(おおみやめのみこと)、摂社の田中大神(たなかのおおかみ)・四大神(しのおおかみ)を勧請。
御祭神:住吉三神(すみよしさんしん)
住吉三神とは、底筒男神(そこつつのおのかみ)・中筒男神(なかつつのおのかみ)・表筒男神(うわつつのおのかみ)のこと。
御船山の南嶽の頂上にある。
[黒尾神社(境外末社)]
御祭神:影媛(かげひめ)
古事記では、山下影日売(やましたかげひめ)と記されている。
武内宿禰の母。
武雄市朝日町にある。
武雄市山内町にも黒尾神社がある。
影媛の墓は、福岡県小郡市の竈門神社ともいわれている。
【終わりに】
白の社殿は珍しい。
武雄神社の白い社殿を初めて見た時、密教・占星術・インドの白い象を思い浮かべた。
実際に社殿には白い像が彫刻されている。
「武内宿禰と武雄心命は、シャーマンや天狗(修験者)なのだろうか。それにしても、平群木兎宿禰・へぐりづくすくね・ヘグリヅク、異国の名前みたいだし、異国の人かな」と思いながら、武雄の大楠へと向かった。
大楠へと続く、もみじ通りの新緑が美しく、癒される。
武雄の大楠は柵がしてあり、近くでは見れないが、離れた場所からでも大楠の凄さが分かる。
大楠の凄さは言葉では表せない。
大楠を見ていると、時が止まったような感じになり、無になる。
ずっと見ていると、3000年もこの地に生き続けていることへの感謝の気持ちで涙が出そうになる。
「大楠が枯れずに生き続けているのは、きっとこの地に刻んだ歴史を語るためなんだろうな」と思った。
神社を出る時、ふと思った。
武雄神社は有田陶器市の帰りに寄った神社だった。
有田陶器市で見つけた八阪神社に呼ばれたような気がしたのは、この後、武雄神社に行くように促すために呼ばれたような気がする。
八阪神社も神功皇后・武内宿禰のゆかりの地だった。
"八阪神社と武雄神社を調べて書け"と言われたような気がする。
確かに、八阪神社と武雄神社は話が繋がっている。
八阪神社のブログ記事⇩
(前述のブログ記事と同じ)
『八阪神社と不思議な狛犬〜佐賀県西松浦郡有田町』
https://keipandkeip.blogspot.com/2022/06/blog-post.html
武内宿禰を祀る神社のブログ記事⇩
『武内宿禰と高良大社〜福岡県久留米市』
https://keipandkeip.blogspot.com/2021/08/blog-post_22.html
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