「どういうこと!?」
事代主大神だけでは何を伝えているのか分からない。
分からないので放っておいた。
でも、ずっと気になってはいた。
今年2月、本を読んでいると、『美保神社』のことが書いてあった。
「美保神社…なんか気になる。そう言えば、以前行った島根の神社どこだったっけ?」
私は普段テレビは見ないのに、なぜか無意識にテレビを付けた。
『日御碕神社でした』ナレーションと共に神社の映像が流れ、日御碕神社は終わった。
「あっ!前行った神社ここ!」
タイミングが良すぎる。
「これは何かあるに違いない」と思い、テレビに釘付けになった。
『神々の道をたどる〜出雲』と画面が切り替わった。
須我神社の説明が始まった。
「ここ前から行ってみたいと思ってた神社だ」
益々行きたくなった。
次に美保神社の説明が始まった。
「あっ!美保神社!ここに行けってことだ」
美保神社の説明はとりわけ長かった。
美保神社の御祭神は事代主命で、恵比寿様であることはもちろん、その他諸々かなり詳しい説明があり、番組は終了した。
「やっぱりここに行けってことだ」
翌日、スマホを見ていると、『あなたにオススメ美保神社』の表示が出た。
「美保神社なんて検索してないのに何で!?」
事代主大神の文字が見えた件、美保神社の件と、何かしらのメッセージが降りてきているようだ。
「分かりましたから、行きますから。でも遠いからすぐには行けません。いつになるか分からないですよ」
誰に言っているのか分からないが、とりあえず念じた(笑)
すると数日後、友人から貰った本に、事代主・卑弥呼・大国主・須佐之男のことが書いてあった。
天無神人(アマミカムイ)
『日本の神々と天皇家のルーツと役割』
人神学を通して見えてきたもの
(ナチュラルスピリット、2020年10月30日初版発行)
以下、引用した部分の【タイトルとページ数】を記載。
【卑弥呼と出雲族との関係 P82〜83】
九州の地に残る「天孫降臨」の神話こそ、卑弥呼を中心とする巫女集団が降ろした太陽神そのものですが、この神事に手を貸したのは、当時の九州で勢力を拡大していた出雲族でした。
出雲族はその名から出雲国に住む一族と考えられていますが、もともとは九州に小国を築いた渡来系民族でした。
のちに出雲へ移動し、四国、近畿、東海、関東にも分布して行きました。
卑弥呼がおさめる邪馬台国は、こうして国家統一をたくらむ出雲族に取り込まれていったのです。
九州の地で絶大な権力があった出雲族は、国家統一を目指して領土を拡大していきましたが、彼らが武力で制圧できなかったのが、卑弥呼がおさめる邪馬台国でした。
そこで邪馬台国の巫女たちと交わり、家同士のつながりをもつことで、邪馬台国の祈りの力をうまく吸収することに成功しました。
武力による制圧ではなく、権力者(父)と巫女(母)とのあいだに子どもをつくることで、宇宙の創造主である天と直接つながる血筋を手に入れたのです。
卑弥呼を吸収した出雲族は、さらに国家統一の礎となった大和民族(もとの伊勢族、百済族)に吸収され、突然のように歴史の表舞台から消えました。
天皇の皇位は約2700年にわたり男系男子によって継承されてきましたが、こうして卑弥呼一族と血縁を結んだことで子どもに神力が宿り、天照大神の祭祀王として天皇が誕生しました。
【四国の王・須佐之男命を奪い取った出雲族 P93〜96】
宇宙の創造主から神力を降ろす天孫降臨神事の中心となったのが、卑弥呼率いる巫女集団であり、「宇宙神につながる12柱」と呼ばれる12名の大巫女でした。
こうして彼女たちは九州の地に「宇宙とつながる祈り場」をつくりましたが、日本全体から光を発するためには全国各地におもむき、天鏡・水鏡・光鏡の儀式ができる場所を探す必要がありました。
そして、この天孫降臨神事に手を貸した出雲族(当時九州で勢力を誇っていた部族)と卑弥呼の巫女集団が混ざり合うかたちで、水鏡がある宍道湖の地(島根県)を目指したのです。
このときの出雲族の親分は大国主命でした。
そして、移動した先の中国地方一帯を統括していたのが、物部一族の血を引く豪族の親分、事代主神だったのです。
『古事記』に記された神話では、大国主命と事代主神は親子関係になっていますが、私の神事によれば親子ではなく、いずれも大陸から来た渡来人でした。
宍道湖の地に入った出雲族は、事代主神が率いる一団の中に「宇宙神につながる12柱」のうちの一人の巫女を見つけました。
宇宙からもっとも大きな神力を降ろす、天孫降臨神事の中心となった大巫女です。
大国主命は、その神力(大巫女)を手に入れるために事代主神を配下におさめました。
こうして卑弥呼の一団に加えて、物部一族の血を引く強大な神力を手中にした大国主命は、奪い取った大巫女を使って天照大神を出雲の地に降ろし、その神力に守られながら国家統一のために全国へ動き出したのです。
当時の九州北部は、小国が緩やかにつながり合う連合体制のような国家がありました。
これが大和王朝に先駆けて興った倭国です。
大陸からの渡来人だった大国主命も、もとは九州で小さな国をおさめていました。
しかし、独立心旺盛だった大国主命は倭国に組み込まれることを嫌い、卑弥呼の巫女集団とともに九州を後にし、出雲に入って事代主神の一団を制圧。
出雲国を打ち立てました。
出雲の神といえば須佐之男命が有名ですが、私の神事によれば出雲ではなく、四国地方をおさめていた豪族の親分でした。
じつは出雲国をおさめていた大国主命がのちに四国を制圧し、地元の親分だった須佐之男命とその巫女たちを出雲まで連れてきたという流れなのです。
事代主神から奪い取った大巫女の神力によって、天照大神を出雲の地に降ろした大国主命でしたが、国家統一を果たすためにはさらなる神力が必要でした。
自らの武力だけでは、いつ九州の国々から攻め入られてもおかしくない状況だったからです。
そんなとき、「四国の地に須佐之男命というすごい神力をもった権力者がいる」ということを知り、その神力を自分のものにしようと狙った大国主命は、須佐之男命を守る巫女たちを脅すという策略に出ました。
四国に攻め入るとの脅しを受けた須佐之男命を守る巫女たちは、「私たちが犠牲になって済むことなら何でもします。どうか王(須佐之男命)の命だけはお守りください」と大国主命に懇願しました。
なぜなら、須佐之男命は武力を使わない王だったからです。
『古事記』に記された神話の中の須佐之男命は、手の付けられない暴れ者で高天原を追放処分されたとありますが、実際の性格とは異なるようです。
こうして四国を制圧した大国主命は、須佐之男命と巫女集団を連れて出雲に戻りました。
四国地方一帯をおさめる豪族の親分だった須佐之男命も、じつは大陸からやってきた渡来人でした。
そして、須佐之男命を祈りの力で守っていた巫女集団は、かつてヨーロッパから渡来した原初キリスト意識にもとづく祈りの一団でした。
この巫女集団により、須佐之男命は天照大神と月読命の両方の神力をもつことになりました。
彼女たちは天照大神の神力と、月読命の神力のいずれかに役割を分担をして祈りを行っていたのです。
大国主命が手に入れたかったのは、須佐之男命を守る巫女集団の強力かつ究極の祈りの力でした。
須佐之男命と巫女集団を出雲に連れ帰った大国主命は、須佐之男命と神力の強い中心的な巫女だけを残して、約200名ほどを宍道湖に沈めて殺してしまいました。
これは巫女の呪詛を恐れたからだけではなく、当時の神権体制では人間や動物を生贄として神々に捧げ、命と自然を一体化させることで権力者が神力を得るという祭祀が執り行われていたからなのです。
『事代主大神』の意味が分かるまで時間が掛かったのは、本に書いてある内容を学んでから島根に行けということだったようだ。
友人から貰った本を読んで、やっと『事代主大神』の文字が見えた理由が分かった。
「美保神社遠いし、すぐには行けない」と思っていたら、ゴールデンウィークに行くことになった。
それにしても、以前『卑弥呼②』で書いたように、私は前世で卑弥呼はもとより、大国主と事代主にも会っていたのかもしれない。
『卑弥呼②』はこちら⇩
https://keipandkeip.blogspot.com/2021/07/himiko-2.html
次回はこちら⇩
『須我神社〜島根県雲南市』
https://keipandkeip.blogspot.com/2021/07/blog-post.html
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