古本屋に立ち寄ると、前から読みたかった『孔雀王』17巻完結セットで800円と激安で販売していた。

即買いした。

というのも、保育園に通う前後くらいに、映画で見た記憶があり、面白かったイメージがあったからだ。


『孔雀王』 

著者 荻野 真 

1巻 1986年7月25日 第1刷発行

 主人公・孔雀は、悪魔の退治を行う密教の退魔師。

日本・中国・西洋の妖怪や魔神、神話の神々とバトルを繰り広げる物語。


孔雀王は、神道・仏教のことが結構学べる。

しかも、漫画の最後のページに参考文献を載せているので、漫画に出てきた気になる内容を調べることができる。


孔雀王を読んでいると、3巻の『黄泉御前(よみごぜん)』の話しで体がゾワゾワした。

「黄泉御前って何?実在するの?」と思いながら読み進めた。


黄泉御前は、300年以上前の戦国時代の女呪術師。

スサノオの血をひくもの。

出雲の*歩き巫女を意のままに操り、時の幕府を脅かし、闇の世界を支配した。

武将たちを呪術で操り、この世を地獄に変えようとした。

地獄の世が続くことを恐れた徳川家康は、7人の術者の力を借り、黄泉御前を倒し、七福神の力で封印した宝船に乗せ、海に流した。


*実在した戦国時代に武田家に仕えていた忍者集団の一つ。巫女として占いなどをしながら、スパイ活動をし、情報収集をしていた。


漫画は、復活した黄泉御前は消えたけど…倒したのか?というところで終わってしまう。

どうやら黄泉御前は、黄泉の国のイザナミの神話をモデルにしているようだ。


この話、漫画だけど今の世の中を物語っているように感じる。

悪いものを退治して封印しても、いつか必ず復活する。

いい人が悪い人を退治したところで、復活するなら意味がない。

復活して復讐されたら最悪だから、結局いい人も悪い人も戦わないのが一番。

悪いもの・闇は封印せずに、慈悲の光を当てて、光と闇を統合するしかないような気がする。

そのためには、闇の世界に生きざるをえなかった者たちの悲しみを知る心が必要。

眩しすがる光はきついけど、優しくて心地よい光は誰だって惹かれるはず。

優しい光は自然と拝みたくもなる。

そんな優しい光を闇にも分けてあげたい。

月光のような優しい光を。


スピリチュアル系の人たちが言っている「闇に光を当てる」って、こういうことなんじゃないかな。


闇の人たちに光を当てると、光に包まれて統合される。

戦うと闇の人たちを刺激するだけだから、戦う必要も争う必要もない。

そういうことじゃないかな。


漫画は、漫画家に高次元の存在が降りて書かせていることがある。

生きている私たちに気付きを与えて、悟らせよとしているのだろう。

 手塚治虫のブッダ、松本零士の銀河鉄道999…など、例をあげるときりがない。

私の好きな昔の漫画を例にあげたが、今の漫画もたくさん気付きを与えている。

漫画は絵で表現しているから、内容をイメージしやすいし、分かりやすく、早く読める。

漫画は「漫然と書かれた絵」で「気の向くままに書いた絵」だそうだ。

気の向くままに、「だから高次元の存在も書かせやすいのか」と思った。

だから日本の漫画は凄くて、漫画から学ぶことは多い。