神在神社(かみありじんじゃ) 

【御祭神】

天常立尊(アメノトコタチノミコト)

國常立尊(クニトコタチノミコト)

伊弉諾命(イザナギノミコト)

伊弉册命(イザナミノミコト)

瓊瓊杵命(ニニギノミコト)

彦火火出見命(ヒコホホデミノミコト)

菅原神(スガワラノカミ)


【由緒】

572年、征新羅将軍に任命された大伴連狭手彦(おおともむらじさでひこ)は、新羅遠征と任那(みまな)・百済援助の成功・航海安全を祈願するため、当時の都(奈良県高市郡)より、*七世の神を勧請し、神在村に神社を建立した。戦国時代には、激しい戦乱のなかで、祭りは途絶え社殿は荒廃し、神社の古いいわれを知る人も僅かになった。

*國常立尊・伊弉諾命・伊弉册命・瓊瓊杵命・彦火火出見命・保食命(ウケモチノミコト)・大己貴命(オオナムラノミコト)


最初のほうの神様達を祀っています。

御祭神の天常立尊は、由緒の七世の神のなかにはいません。

七世の神の保食命と大己貴命は、御祭神にはいません。

御祭神と七世の神が違うので、隠された歴史がありそうで気になる。


神石(しんせき)

神功皇后が「紫にたなびく雲を目撃した」という場所。

神在神社の横の坂道を歩いて1分、竹林の細道を進んで行くと、外周約16m・高さ約4mの巨石が現れる。

テレビで「かつては石の9割は土のなかに埋まっており、みかん畑にするために掘り返すと、巨石が出てきた」と言っていた。

勾玉も出土したそうだ。

しめ縄をしてお祀りするようになったのは2016年11月から。

竹林に埋もれた存在だったが、神社総代の方が改めて調べると、巨石の特集本に20年程前に撮られた写真が掲載されているのを見つけ、「きちんとお祀りした方がいい」と考え、竹林を伐採して道を整備したとのこと。

看板があるので道に迷うことはありません。

鬼滅の刃の炭治郎が切る大岩に似ているので、鬼滅ファンに人気。

全身に大量の蚊が止まり、服の上からも刺されて大変だったので、虫除け対策をしっかりするか、蚊がいない時期に訪れた方がいいと思います。


私が訪れた時は、参拝者は誰もいなかった。

神社で参拝を終えると、黒アゲハが現れたので、黒アゲハに付いて行くと、神石に辿り着いた。

黒アゲハは道案内だったようだ。

何のためにこの場所に巨石があるのか不思議でたまらない。

石に手を当ててみた。

「弁財天・応神」の文字が見えた。

弁財天は宗像三女神の市杵島姫神(イチキシマヒメノカミ)で、応神天皇は市杵島姫の子どもだとすると、見えた文字の辻褄が合う。

歴史では、応神天皇は神功皇后の子どもとなっている。

勾玉も出土したということは、何かの儀式か祈りで巫女が使っていたはず。

神功皇后は宗像三女神の田心姫神(タゴリヒメノカミ)。

ちなみに、宗像三女神のもう1人は湍津姫神(タギツヒメノカミ)。

3人とも最強の大巫女でした。

神功皇后の「紫にたなびく雲を目撃した」は、この巨石の前で応神天皇が産まれたと言っているのではないかと想像してしまう。

それか、神功皇后が三韓(新羅・高句麗・百済)征伐の際、「新羅を攻めよ」と神託があったので、紫にたなびく雲は勝利の予言だったのかもしれない。

紫は神様の色。

紫にたなびく雲は、神の子(応神天皇)が産まれたという神託か、新羅征伐で勝利する神託か、もしくは別の神託か。

謎は深まる。


由緒で書いた大伴連狭手彦の新羅遠征と、神功皇后の三韓征伐はそっくりだ。

神功皇后の三韓征伐は、200年前後とか300年前後とか、はっきりした西暦が分かっていない。

また、527年の筑紫国造磐井の乱(ちくしのくにのみやつこいわいのらん)も、神功皇后の三韓征伐・大伴連狭手彦の新羅遠征とそっくりだ。

謎は深まるばかり。

福岡県糸島市神在にある神在神社、神在という地名も凄いし、隠された何かがあるような気もするし、また神在神社を訪れることになるかもしれない。