大汝牟遅(おおなむちじんじゃ)神社





【所在地】


鹿児島県日置市吹上町




【御祭神】


[主祭神]


大汝牟遅命(おおなむちのみこと)

※別名:大己貴神(おおなむちのかみ)、大国主神(おおくにぬしのかみ)


玉依姫命(たまよりひめのみこと)

※大汝牟遅命の妻


仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)

※第14代天皇


神功皇后(じんぐうこうごう)

※仲哀天皇の皇后


応神天皇(おうじんてんのう)

※第15代天皇


仁徳天皇(にんとくてんのう)

※第16代天皇



[合祀]


天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)


少彦名命(すくなひこなのみこと)


別雷神(わけいかづちのかみ)


小烏大明神(こからすだいみょうじん)


住吉大明神(すみよしだいみょうじん)




【別雷神】


別名:賀茂別雷命(かもわけいかづちのかみ)

京都の上賀茂神社の祭神。

山城国風土記の逸文に次のような記述がある。


玉依姫命が賀茂川で遊んでいると、丹塗矢(にぬりや)が流れてきた。 
丹塗矢を持ち帰り、寝床の近くに置いていると、玉依姫命は懐妊し、賀茂別雷命が生まれた。
賀茂別雷命が成人した祝宴の席で、祖父の賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)が、「お前の父と思う人にもこの酒を飲ませてあげなさい」と言うと、賀茂別雷命は屋根を突き抜け昇天した。
これにより、賀茂別雷命の父が神であり、丹塗矢の正体が向日(むこう)神社の火雷神(ほのいかづちのかみ)であることが判明した。

賀茂別雷神は、大山咋神(おおやまくいのかみ)と玉依姫命との間の子とも言われている。




【小烏大明神】


別名:賀茂建角身命、八咫烏。

玉依姫命の父。

京都の下鴨神社の祭神。


賀茂建角身命と賀茂氏の詳細はこちら⇩

『揖宿神社〜鹿児島県指宿市』

https://keipandkeip.blogspot.com/2022/11/blog-post.html















【由緒と歴史】


創建年代は不明。

神代の昔、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が霧島に降臨した後、暫く宮居された場所だと言われている。

大和朝廷の頃、*阿多隼人(あたはやと)と言われたこの地の先祖がいた。

阿多隼人は、*舎人(とねり)として朝廷に仕えた帰りに、奈良の大神(おおみわ)神社より大汝牟遅神と玉依姫命を勧請して、大汝牟遅神社は創建された。

1186年、島津初代・島津忠久(ただひさ)は、鶴岡八幡宮より、仲哀天皇・神功皇后・応神天皇・仁徳天皇の御神霊を遷し合わせて祀った。

明治以前までは、大汝牟遅八幡神と称されていた。


*阿多隼人:阿多の地〔鹿児島県西部地方〕に住んでいた集団。702年以降、薩摩隼人と改称。


*舎人:皇族や貴族に仕え、警備や雑用に従事していた者。その役職。


瓊瓊杵尊の詳細:瓊瓊杵尊の降臨の地・陵墓・神社などをまとめた記事はこちら⇩

『新田神社〜鹿児島県薩摩川内市』

https://keipandkeip.blogspot.com/2022/08/blog-post.html











御神木


【末社】


[西ノ宮]


祭神:武内宿禰命

  (たけのうちのすくねのみこと)


   芦王之神

  (あしおうのかみ)


左下に潮浜参りの赤貝が並べられている


[森神社〔千本楠〕]


祭神:大己貴命(おおなむちのみこと)


奥に大汝牟遅神社が見える




























































【芦王之神は武内宿禰の弟?】


イネ科の多年草「芦(ヨシ)」の元々の呼び名は、「アシ」であった。

「悪し」に通じるため、「ヨシ」と言い換えられた。

これが和名「ヨシ」の由来である。

芦王之神は、*武内宿禰の弟・甘美内宿禰(うましうちのすくね)のことだろうか?

日本書紀の応神天皇9年(278年)4月に次のような記述がある。


『武内宿禰が筑紫国に派遣された際、*甘美内宿禰は天皇に、「兄は天下を取ろうとしている」と言い、嘘をついた。
天皇は、武内宿禰の元に使者を派遣した。
これを知った武内宿禰の甥・*壱岐真根子(いきまねこ)は、武内宿禰と背格好が似ていたので、身代わりとなり、武内宿禰を都へ戻した。
天皇は、使者から逃れた武内宿禰と甘美内宿禰に、*盟神探湯(くかたち)という占いをさせると、武内宿禰が勝った。
敗れた甘美内宿禰は、武内宿禰に殺されそうになったが、天皇の勅によって許さた。
しかし、甘美内宿禰は*紀直(きのあたい)らの祖の隷属民となった。』



*武内宿禰と壱岐真根子の詳細はこちら⇩

『武内宿禰と高良大社〜福岡県久留米市』

https://keipandkeip.blogspot.com/2021/08/blog-post_22.html


*甘美内宿禰:武内宿禰の異母弟。


*盟神探湯:泥を沸騰させた釜の中に小石を置き、被疑者にその小石を取り出させ、手がただれるかどうかで罪の有無を判断する。


*紀直:紀伊国造(きのくにのみやつこ)のことで、現在の和歌山県を支配した国造。紀氏から紀直に改姓したとみられる。出雲・阿蘇・宇佐・隠岐国造と並ぶ日本最古の国造氏族。




【森神社〔千本楠〕】


大汝牟遅神社の境内前の道路を正面に150mほど進むと、千本楠と呼ばれる、楠が群生する場所がある。

案内看板に次のように記されている。


『この辺一帯は、古来、大汝八幡(おおなはちまん)の神域で、二十数株の大楠が、あたかも竜が寝ているように連なり、また、天空高く梢を伸ばしている。
この中の、倒れ伏して朽ちた楠が親木と伝えられ、当時は根回り18m余りあったという。
明治43年、日英博覧会に出品した楠材の切株は、樹齢800年以上と推定された。
神話によると、大汝牟遅命、下向の時、楠の木の杖を地にさされたところ、これが根付いて親木となり増えたと伝えられている。』


千本楠は、数々のドラマやCMのロケ地となっている。

一例を挙げると、精霊の守り人〔2016年・綾瀬はるかさん出演NHKドラマ〕、パスコの超熟パン〔2012年・小林聡美さん出演CM〕、アフラック新EVER(2011年・櫻井翔さんと宮崎あおいさん出演CM〕など。





【潮浜参り〔御潮とり〕】


大汝牟遅神社の拝殿の横には、砂が盛られた赤貝がたくさん並べられている。

案内看板に次のように記されている。


『この貝に盛られた砂は、初詣の時、吹上浜で波打ち際の砂を山盛りにし、四方拝後、波で崩れたあとの濡れた砂を、浜辺にある赤貝〔オトツゲ〕に盛り奉納されたものです。
これは、古事記の中にある、「火もちて猪(い)に似たる大き石(いわ)を焼きて転(まろ)ばし落としき…その石に焼き著(つ)かえて死にき。…刮貝比売(さきかいひめ)〔赤貝〕きさげ集めて、蛤貝比売(うむかいひめ)〔蛤〕待ち承けて、母の乳汁(ちしる)と塗りしかば、麗しき壮夫(をとこ)に成りて、出で遊行(あそ)びき」という大汝牟遅の神様と、兄神様等の八十神様にちなんでの事とされます。
即ち、赤貝の殻の粉を、蛤の出す汁で溶いて、母乳状の液体として塗ったところ、蘇生されたので、赤貝に濡れた砂を盛り供え、神様の御神霊を慰め若返っていただき、更に神様の御活躍を願い、御神徳を戴くためです(貝殻の粉を水で練って火傷に塗る民間療法や、母親が子供の傷に乳汁や唾を塗る習慣は今でも残っています)。
この風習は、県外はもとより他の市町村でも見られない、吹上地方の独自のものです。
尚、この風習は往古より次々と受け継がれてきたもので史料はなく、その起源は不詳であります。』


案内看板に書いてある古事記とは「因幡の白兎」伝説のことで、内容は次の通り。


『大汝牟遅命に助けてもらったウサギが、「八上比売(やがみひめ)は、八十神の言葉には耳を貸さず、あなたを選びます」と言って、その場を去る。
ウサギの予言通り、八上比売は八十神たちの求婚を断り、大汝牟遅命の元へ行く。
それに腹を立てた八十神たちは、大汝牟遅命を殺そうと企てる。
八十神たちは大汝牟遅命に、「この山の上に赤い猪がいる。俺たちが追い出すからお前は下で待ち伏せて捕まえろ」と言い、猪に似た岩を火で焼いて落とした。
岩を捕まえた大汝牟遅命は、火傷を負い、亡くなってしまう。
これを知った母親は嘆き悲しみ、天に上り、神産巣日神(かみむすびのかみ)に嘆願した。
神産巣日神は、刮貝比売と蛤貝比売を遣わし、大汝牟遅命を治療させた。
大汝牟遅命は蘇生し、歩き出した。』




【おわりに】


「大汝牟遅神社に行こうかな?どうしよう?帰りに大汝牟遅神社の側を通ることがあれば寄ろう」と決めた。

すると、宿泊した宿を出て車で10分ほど進むと、道路の真横に『大汝牟遅神社』と書かれた大きな看板があった。

「これは必ず行きなさいってことだ」と思った。

武内宿禰を祀る武内社があったので、「だからこの神社に行くように導かれたのか」と思った。


なぜ武内宿禰なのかはこちら⇩

『武内宿禰と高良大社〜福岡県久留米市』

https://keipandkeip.blogspot.com/2021/08/blog-post_22.html


大汝牟遅神社は、とても素晴らしい神社。

境内の御神木はどれも巨樹で立派だ。

千本楠の階段の先にある赤い祠を見た瞬間、「ここ夢で見た。夢で見たあの場所はここだったのか」と夢で見たことを思い出した。

龍のような形をした楠に囲まれた千本楠の中は、エネルギーに満ち溢れている。

ここに訪れた人はみんな、何かしらの高いエネルギーを感じるだろう。

楠に手を当てると、「揖宿〔指宿〕のイブは息吹のイブ、息吹を上げる、息吹を与える」というイメージが伝わってきた。

ここでいう『息吹き』とは、万物を育てる自然のエネルギー・氣のこと。

「たくさんの高いエネルギー・氣を生み出し、みんなに与えています」と千本楠の楠たちは教えてくれた。

私は、「ありがとう」と感謝の気持ちで涙が出そうになった。

植物は、このような命の循環の仕組みをよく教えてくれる。

だけど、余計なことは一切言わないので、四六時中は教えてはくれない。

なぜなら、植物は精神性が高く、謙虚だからだ。

これは神様も同じで、神様は必要な時に必要なことしか教えてくれない。

今回の鹿児島の旅はこれで終わり。

13ヶ所の神社や陵墓を訪れた。

不思議なことに、13ヶ所の神社や陵墓での滞在中、他の参拝者と出会わなかった。



今回訪れた鹿児島県の神社はこちら⇩

『野間神社〜鹿児島県南さつま市』

『竹山神社〜鹿児島県指宿市』

『枚聞神社〜鹿児島県指宿市』

『揖宿神社〜鹿児島県指宿市』

『鹿児島神社〜鹿児島県鹿児島市』

『卑弥呼・卑弥弓呼神社〜鹿児島県霧島市』

『鹿児島神宮』

『新田神社〜鹿児島県薩摩川内市』

『瓊瓊杵尊の可愛山陵、彦火火出見尊の高屋山上陵、天皇陵の説明』