御池神事の前後に不思議なことがあったが、玉屋神社の説明が長くなったので分けて書くことにした。


↓ 前回はこちら

『英彦山・玉屋神社〜御池神事①』

https://keipandkeip.blogspot.com/2021/07/blog-post_20.html


今回は英彦山と玉屋神社の説明。



【英彦山(ヒコサン)】

・古来より神の山として信仰されてきた霊山。

・神仏混合の権現信仰。

・英彦山神宮の主祭神は、天之忍穂耳命(アメノオシホミミノミコト)。

・天之忍穂耳命は天照大御神の御子なので、『日の子の山』『日子山』と呼ばれたいた。

・嵯峨天皇によって、『日子』の2文字を『彦』に改められた。

・霊元法皇の命により、『英』の一字を承り『英彦山』となり現在に至る。

ややこしい(笑)


【玉屋神社】

[御祭神]

瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)

猿田彦大神(サルタヒコノオオカミ)

・巨大な岩窟からせり出した、『玉屋神社』と『鬼神社』の社殿がある。

・『玉屋神社』の社殿に架かる額は【英彦山般若窟】、入口の社名が書いてある板には【鎮西彦山玉屋神社】と書いてある。

・湧水は日本三大霊水の一つ。


【玉屋神社の歴史】

・開祖は、中国魏国の北魏僧・善正上人。 

・善正は、抱いてきた異国の神像を安置して祀り、霊山と名付けた。

・異国の仏像とは仏様。我が国ではまだ仏像を知らない。

・藤原桓雄が、猟で山に入った時、岩窟に座している善正を見て不思議に思った。

・桓雄は、善正の窟の側に茅葺小屋を作り住むようになる。

・桓雄は、善正の戒めを聞かず猟を続けた。

・ある日、一頭の白鹿を霊獣とは知らず、弓矢で射った。その時、空中から三羽の鷹が現れ、白鹿を甦らせた。

・桓雄は、弓矢を捨て、家財を投げ打って祠を建て、善正の弟子となり、忍辱(ニンニク)と名乗り修行に励んだ。

・これが我が国における僧の始まり。

・忍辱の跡を継ぐ者はおらず、そのままになっていたが、やがて法蓮上人が現れ、忍辱の教えを興じた。

・法蓮は、人々が豊かに暮らせるようにと、『如意の宝珠』を手に入れ、その力で人々を救おうと考えた。

・『如意の宝珠』とは、人々を救うために役立つ不思議な力を持った珠。

・ある日、「英彦山の窟に藦尼珠があるが、神が出し惜しんで守っている。熱心に求めれば得ることができるであろう」とお告げがあった。

・法蓮は窟を探し出し、長い間一心に金剛般若教を唱えた。

・この窟を般若窟と呼ぶようになった。

・霊蛇が宝珠を握り、岩窟を破って現れ、法蓮に与えた。

・般若窟と呼んでいたが、宝珠が現れたことから、玉屋と呼ぶようになった。

・それ以降、岩窟の穴から清水が湧き出て、干天でも枯れることはなかった。

・体に浸せば病気は治り、飲めば寿命が延びる。天下に異変があれば必ず濁る。


岩窟からせり出した社殿が『玉屋神社』で、岩窟が『般若窟』。

『玉屋神社』が瓊瓊杵尊を祀っており、『鬼神社』が猿田彦大神を祀っているようだ。


次に続く。