美保神社
【所在地】
島根県松江市美保関町
【御祭神】
[主祭神]
・事代主神(コトシロヌシノカミ)
*えびす様
・三穂津姫命(ミホツヒメノミコト)
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社殿 |
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大社造の本殿は重要文化財 |
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社殿 左側 |
【事代主神と三穂津姫命の関係】
事代主神は、大国主神と神屋楯比売命(カムヤタテヒメノミコト)との間の子ども。
古事記では「神屋楯比売命」、先代旧事本紀(せんだいくじほんぎ)では「高津姫神」と記されている。
三穂津姫命は、大国主神の妻。
事代主神と三穂津姫命は、夫婦でも親子でもないし、血の繋がった親戚でもない。
「なぜ美保神社に事代主神と三穂津姫命が祀られているのか?」と疑問が生じる。
この疑問は下記の本で説明している。
関裕二『神社仏閣に隠された古代史の謎』(徳間出版、2008年、P150〜153)
【美保神社は出雲国譲りの舞台 P150】
美保神社の本殿は、美保造と呼ばれる社殿。
美保神社は「海の神社」で、「悲しい海の神様」である。
4〜10月にかけて、青柴垣(あおふしがき)神事、神迎(かみむかえ)神事、虫深(むしばらい)神事、諸手船(もろたぶね)神事と続く。
その背景には、「海に消えていった事代主神」の悲劇が隠されている。
*出雲の国譲りの神話は、日本書紀に次のように記されている。
天上界の高皇産霊尊(タカミムスヒノミコト)と天照大神は、葦原中国を支配下に入れようと、神々を地上界に降ろすが、なかなかうまくいかなかった。
そこで最後の切り札に、経津主神(フツヌシノカミ)、武甕槌神(タケミカヅチノカミ)を送り込んだ。
二柱の神は、*五十田狭(いたさ)の小汀(おはま)で*大己貴神(オオナムチノカミ)に国の明け渡しを迫った。
大己貴神は「子の事代主神に問いただしていただきたい」と答えた。
そこで、事代主神に使者を差し向けると、*三穂の碕(みほのさき)で釣りをしていた。
また、「鳥の遊び」の神事をしていたともいう。
事代主神は「父は逆らうべきではない」といい、天津神の命令に従った。
そして、海中に*八重蒼柴籬(やえあおふしがき)をつくり、船を足で踏ん張り、傾けて、波間に身を隠した。
古事記では、このとき事代主神は、*天の逆手(あまのさかて)の呪術を執り行って消えていった。
現し身(うつしみ)の事代主神は、こうして祀られる神になった。
事代主神が波間に身を隠した舞台こそ、美保神社の一帯である。
*武甕槌神と武御名方命の出雲の国譲りの神話はこちら⇩
『揖夜神社と意宇の杜〜島根県松江市』
https://keipandkeip.blogspot.com/2021/07/blog-post_10.html
*五十田狭の小汀:島根県出雲市大社町杵築北稲佐)
*大己貴神:大国主神
*三穂の碕:島根県美保関(みほのせき)
*八重蒼柴籬:青葉の柴の垣、神籬(ひもろぎ)
*天の逆手:手の甲と甲を合わせる?普通とは違った打ち方をする柏手。
【出雲神と祟り神のつながり P151〜152】
事代主神は、中世になると七福神の「えびす様」と習合していく。
漁師は、漁で水死体を引き揚げるとこれを「えびす様」と呼び、豊漁を招く吉兆として喜ぶという。
事代主神が海に沈んだという話や、事代主神が「えびす様」となり、豊漁の神となったという話は、祟る神の物語ではあるまいか。
【美保神社の神事 P153】
美保神社は、島根半島の東のへりという、水上交通の要衝に祀られているため、当然「海の神」を祀っていた。
「出雲国風土記(いずものくにふどき)には、祭神の事代主神や三穂津姫命の名がない。
「出雲国風土記」美保郷の条に、奴奈宜波比売命(ヌナカワヒメノミコト)〔奴奈川姫〕が生んだ子が、御穂須須美命(ミホススミノミコト)とある。
どうやら、御穂須須美命が本来の祭神で、事代主神が主祭神に持ち上げられたのは、近世のことらしい。
美保神社が特殊なのは、明神さんの子孫を自称する家々が存在し、その中から「頭屋(とうや)」という当番が神籤(みくじ)で選ばれることだ。
かつて頭屋に選ばれると、1年間、美保神社の神主を務めたが、現在では、専業の神職が常駐している。
それでも青柴垣神事において、頭屋は重要な役目を果たしている。
船を榊(さかき)や幟(のぼり)で飾り、青柴垣を造り、沖に出て、神事を執り行う。
ここで頭屋は、生き神として、事代主神そのものになる。
【幸魂神社】
幸魂(さきだま)神社は、三穂津姫命のお墓とされている。
美保神社から徒歩7分。
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幸魂神社 |
【御穂須須美命を祀る祠】
[御穂社]
祭神:御穂須須美命
関の五本松公園の中にある。
美保神社から関の五本松公園まで車で3分。
関の五本松公園の入口から御穂社まで徒歩20分。
御穂社は、日本海を眼下に見下ろす場所に建っている。
1990年頃、宝照院〔松江市外中原〕内にあった美保神社・奥の院の祠を、賣布神社・宮司と御穂須須美命・信者が協力して「御穂社」を建立したとのこと。
御穂社の案内看板には次のように記されている。
『風土記では、美保郷の地名の由来とされている美(御)穂須須美命は、大国主命と北陸の奴奈宜波比売との間にお生まれになり、この美保の郷に鎮座されたと記されています』
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御穂社 |
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五本松公園から見る美保湾 |
【三穂津姫命、御穂須須美命、事代主神のまとめ】
三穂津姫命は、大国主神の妻。
御穂須須美命は、大国主命と北陸の奴奈宜波比売命(ヌナカワヒメノミコト)との間の子ども。
事代主神は、大国主神と神屋楯比売命(カムヤタテヒメノミコト)との間の子ども。
つまり、三穂津姫命と奴奈宜波比売命と神屋楯比売命は、大国主神の妻。
御穂須須美命と事代主神は、大国主神の子ども。
御穂須須美命と事代主神は、異母兄弟。
美保神社の本来の祭神は、御穂須須美命。
近世に事代主神が美保神社の主祭神として祀られた。
【摂末社】
[地之御前(ちのごぜん)・沖之御前(おきのごぜん)]
御祭神
・事代主神
・活玉依媛命(いくたまよりひめのみこと)
活玉依媛命は、事代主神の妻。
地之御前・沖之御前は、美保神社の境外末社。
地之御前と沖之御前は、美保関灯台がある岬の突端にある。
美保神社から美保関灯台まで車で5分。
「地之御前」の北東4㎞の沖合に「沖之御前」がある。
下の写真では右上にとても小さく沖之御前の岩礁が写っている。
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神蹟 美保之碕 |
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地之御前 沖之御前 |
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手前の岩 地之御前 右上の岩 沖之御前 |
[筑紫社]
御祭神
・市杵嶋姫命(イチキシマヒメノミノト)
・田心姫命(タゴリヒメノミコト)
・湍津姫命(タギツヒメノミコト)
[和田津見社]
御祭神
・大綿津見神
・豊玉彦命
・豊玉姫命
筑紫社と和田津見社は、美保神社から港へ出て徒歩2分の場所にある境外末社。
筑紫社の「筑紫」は、筑紫国のことだろう。
筑紫国は、現在の福岡県の東部を除いた地域。
*筑紫君磐井(ちくしのきみいわい)という人物が、筑紫国を支配していたが、のちに筑前国と筑後国に分かれる。
「なぜここに筑紫?筑紫から美保にきた人たちがいたのか?筑紫君磐井が逃げて来てたりして」と想像を巡らせた。
*宗像三女神を祀っているので、筑紫社と名付けたのかもしれない。
*筑紫君磐井の詳細はこちら⇩
『岩戸山古墳と磐井の乱』
https://keipandkeip.blogspot.com/2022/04/blog-post.html
*宗像三女神の詳細はこちら⇩
『世界遺産 沖ノ島』
https://keipandkeip.blogspot.com/2022/01/blog-post_20.html
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筑紫社と和田津見社 |
[天神社]
祭神:少彦名命
美保神社から車で3分の道沿いにある小さな境外末社。
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天神社 |
【不思議な体験】
美保神社を訪れたのは、ある日、突然、*「事代主大神」の文字が見え、美保神社に関する不思議な体験をしたからだ。
美保神社を参拝すると、体がずしりと重くなった。
事代主が一瞬体に入ったのかと思った。
和田津見社を参拝すると、「武内」の文字が見えた。
これと同じことが*賣布神社でも起きた。
天神社を参拝すると、白い衣を着た夫婦神が現れ、「子宝」の文字が見えた。
私から見て、左に男性、右に稲穂を持った女性だった。
イザナギとイザナミかと思ったが、事代主と三穂津姫だろうか?
三穂津姫と事代主は夫婦なのかもしれない。
しかし、美保神社の本来の祭神は御穂須須美命。
なので、私が見た夫婦神は、御穂須須美命とその夫なのかもしれない。
ちなみに、事代主は中国地方一帯を統括していた物部一族の血を引く豪族の親分であることを下記の『事代主大神の文字』に書いている。
「子宝」の文字は、*神魂神社でも見えた。
*事代主大神の詳細はこちら⇩
『事代主大神の文字』
https://keipandkeip.blogspot.com/2021/07/kotoshironushinokami.html
賣布神社の詳細はこちら⇩
『賣布神社〜島根県松江市和多見町』
https://keipandkeip.blogspot.com/2021/07/blog-post_14.html
神魂神社の詳細はこちら⇩
『神魂神社〜島根県松江市大庭町』
https://keipandkeip.blogspot.com/2021/07/blog-post_12.html
【おわりに】
神屋楯比売命〔高津姫神〕は、先代旧事本紀の地祇本紀では、「大国主神は、辺都宮の高降姫神〔高津姫神〕と婚して事代主神を生んだ」と記されている。
このことから、神屋楯比売命は、宗像三女神の湍津姫神と解されている。
しかし、辺都宮〔辺津宮〕に祀られているのは、市杵島姫神である。
宗像大社と宗像三女神については、上記の『世界遺産 沖ノ島』に書いている。
関裕二さんのいう「祟る神」とは、菅原道真、崇神天皇、平将門など、祟りで天変地異や疫病を発生させたが、のちに神として祀られた人のこと。
古事記によれば、大物主神は祟り神だという。
美保神社に参拝した翌日が神迎神事だった。
神迎神事は、5月5日の2:30に始まり、島根半島の沖合にある「沖ノ御前島」まで船で参向し、神霊を神社本殿内まで船で迎える神事。
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