揖夜神社と意宇の杜〜島根県松江市

2021/07/10

意宇の杜 黄泉比良坂 神社仏閣 島根 日本の歴史 不思議な体験 揖屋神社



揖夜(いや)神社




【所在地】


島根県松江市東出雲町揖屋




【御祭神】


[主祭神]


伊弉冉命(イザナミノミコト)



[配神]


・大己貴命(オオナムチノミコト)

*大国主命


・少彦名命(スクナヒコナノミコト)


・事代主命(コトシロヌシノミコト)

*大国主命の息子


・武御名方命(タケミナカタノミコト)

*大国主命の息子


・経津主命(フツヌシノミコト)



拝殿


本殿 




【由緒と歴史】


創建年代は古く不明。

古事記・神代巻には、伊賦夜坂(いふやざか)について記されている。

日本書紀・斉明五年是歳条には、言屋社(いふやのやしろ)と記されている。

出雲国風土記には、伊布夜社(いふやのやしろ)と記されている。

以上のことから、少なくとも平安時代以前には広く知られていたようだ。

揖夜神社の穂掛祭では、不思議なことに、境内の75か所も神饌をお供えする。

穂掛祭は、8月28日に行われる豊作を感謝する祭りで、境内75か所に*穂掛榊を捧げ、神饌をお供えする。



*穂掛榊:稲穂を取り付けた榊。




【日本書紀の言屋社の記述】


日本書紀・斉明五年是歳条には、揖夜神社について次のように記されている。


[原文]

是歳、命出雲国造、〔闕名。〕修厳神之宮。狐噛断於友郡役丁所執葛末而去。又狗噛置死人手臂於言屋社。〔言屋、此云伊浮耶。天子崩兆〕。


是歳(このとし)、出雲国造(いづものくにのみやつこ)〔名を闕(もら)せり。〕に命じて、神の宮を修厳(つくりよそ)はしむ。狐、於友郡(おうのこほり)の役丁(えよほろ)の執れる葛(かずら)の末を噛(く)ひ断ちて去(い)ぬ。又、狗(いぬ)、死人(しにひと)の手臂(ただむき)を言屋社(いふやのやしろ)に噛(か)み置けり。〔言屋、此には伊浮耶(いふや)と云ふ。天子(みかど)の崩(かむあが)りまさん兆(きざし)なり。〕


[現代語訳]

*この年、出雲国造〔何という名前か記録が残っていない〕に命じられ、*神の宮を修造させられた。その時、狐が意宇郡の役夫の採ってきた*葛を噛み切って逃げた。また、犬が死人の腕を嚙みちぎって揖夜神社に置いていた。〔言屋は、伊浮という。天子の崩御する予兆である。〕



*この年:斉明天皇5年



*神の宮:意宇郡(おうぐん)の*熊野大社。



*熊野大社の詳細はこちら⇩

『熊野大社~島根県松江市八雲町』

https://keipandkeip.blogspot.com/2021/07/blog-post_9.html



*葛:神の宮の修造に使う木材。




【社殿】


本殿は、大社造。

内部の造りは、出雲大社とは逆向きになっている。

本殿と拝殿は離れており、拝殿は四方吹抜けとなっている。

揖夜神社は、境内入口にある随神門の正面に、本殿が鎮座していない珍しい神社。




【境内社】


[韓国伊太氐(からくにいたて)神社]


御祭神

・素戔嗚命(スサノオノミコト)

・五十猛命(イソタケルノミコト)

※素戔嗚命の息子


本殿の左側にある神社。

*延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)には、全国で6社しか韓国伊太氐神社の名前は登場しない。

6社とも出雲地方の神社で、社殿が現存するのは2社のみ。

社殿が現存するのは、揖夜神社の境内社と*曾枳能夜(そきのや)神社の境内社のみ。


*延喜式神名帳:延喜式は平安時代中期の法制書。延喜式の巻九・巻十で全国の神社を紹介している部分を神名帳と呼ぶ。


*曾枳能夜神社:島根県出雲市斐川町にある。



[三穂津姫神社]


御祭神

*三穂津姫命

※大国主命の妻


本殿の右側にある神社。

三穂津姫神社も韓国伊太氐神社も同じ造り。


*三穂津姫命の詳細はこちら⇩

『美保神社~島根県松江市美保関町』

https://keipandkeip.blogspot.com/2021/07/blog-post_35.html



神社の並び順に記された看板


韓国伊太氐神社


三穂津姫神社




【荒神社】


荒神(こうじん)社の看板には、次のように記されている。


荒神社(祭神・スサノオ)

大蛇神(チイナマイト)


出雲地方でよく見かける、木に藁を巻きつけた荒神様。

荒神にその年の農作物の収穫に感謝する荒神祭は、収穫後の11〜12月に行われる。

出雲地方では、荒神を祀った樹木に藁で作った藁蛇を巻き付ける。

または、荒神を祀った石などに藁蛇を供える。

その周囲や藁蛇には、小さな御幣(ごへい)がたくさん立てられる。

出雲の東側、意宇郡(おうぐん)では、「チイナマイト」と呼ばれている。

「綱(つな)を巻いた」が「チイナマイト」と訛ったとされている。

ちなみに、*出雲国造家の本来の拠点は意宇郡である。

下の写真には写っていないが、荒神社の手前に、経津主命〔左側〕と武御名方命〔右側〕の石祠が、門守のように向かい合って建っている



*出雲国造家の拠点の詳細はこちら⇩

『神魂神社〜島根県松江市大庭町』

https://keipandkeip.blogspot.com/2021/07/blog-post_12.html



荒神社




【武御名方命と武甕槌神】


古事記に記された「出雲の国譲りの神話」では、武御名方命は国譲りに反対した。

武御名方命は、武甕槌神(タケミカヅチノカミ)に果敢に挑んだが、*諏訪の地〔長野県〕に封じ込められてしまった。

しかし、*この神話は日本書紀には記されていない。

このとき、国譲りに賛成したのが事代主命である。



*日本書紀に記された出雲の国譲りの神話の詳細はこちら⇩

『美保神社〜島根県松江市美保関町』

https://keipandkeip.blogspot.com/2021/07/blog-post_35.html




【黄泉比良坂(よもつひらさか)】


揖夜神社の主祭神である伊弉冉命。

伊弉冉命と関連する場所が、揖夜神社から徒歩15分の場所にある。

古事記・日本書紀に登場する黄泉比良坂である。

別名を伊賦夜坂(いふやざか)と呼ぶ。

揖夜神社は、黄泉比良坂から近いことから、*黄泉の国(よみのくに)と縁の深い神社とされている。

日本書紀での黄泉比良坂は、黄泉の国と生者の住む現世の境目にある坂。

または、死者と生者の境目の場所。 



※黄泉の国:死者の国。



黄泉比良坂




【人間の生と死の始まり】


女神・伊奘冉(イザナミ)は、軻遇突智(カグツチ)を産んだことで亡くなる。

男神・伊弉諾(イザナギ)は、亡くなった伊奘冉に会いに黄泉の国に向かうが、腐った伊奘冉の醜い姿を見てしまう。

醜い姿を見られてしまい怒った伊奘冉は、伊弉諾を追いかける。

逃げ切った伊弉諾は、黄泉比良坂に巨大な岩を置き、道を塞ぐ。

閉ざされた女神・伊奘冉は叫んだ。

「愛しい人よ。こんなに酷いことをするなら、私は、1日に1000人の人間を殺すでしょう」

これを聞いた男神・伊弉諾は言った。

「愛しい人よ。それなら、私は、産屋を建てて、1日に1500人の子を産ませよう」

そして、2人は離縁した。




【揖夜神社での不思議な体験】


境内の奥にぽつんと「火守神社」がある。

火守神社は、誰を祀っているのか分からない。

おそらく、軻遇突智(カグツチ)を祀っているのではないだろうか。

火守神社の後ろは斜面になっており、斜面の高い位置に大きな木が立っている。

私は、その木がとても気になった。

通り道がないので、斜面をよじ登り、木まで向かった。

他人に見られたら、怒られるか、変な人と思われそうなので、人目を気にして登った。

登り終えると、足場が悪く、体が斜めになった。

木に両手を当てて、「気になったので来ました」と心の中で木にご挨拶をした。

すると…ピカッと陽が照り、雨が止んだ。

「今日はピカッが多いな。写真を撮らせて下さい」と思いながら、写真を撮った。

エメラルドグリーンの龍みたいな動物が写っていた。

後日、写真に写っているのは、木の精霊と天狗であることが分かった。

この木は御神木だった。

「神社にある木は、しめ縄をして祀っていなくても、大切に大事にしないといけないな」と思った。

最初は分からなかったけれど、写真をじっと眺めていると…天狗だった。

天狗だけど鼻は長くない。

大きい目で、優しい表情の天狗だ。

私は天狗が好きなので嬉しかった。



この奥に火守神社がある


火守神社



意宇の杜(おうのもり)


左の木の区画:意宇の杜



【所在地】


島根県松江市竹矢町




【意宇の杜とは】


揖夜神社から車で10分の場所にある。

神社ではない。

古代出雲国の政治と文化の中心地。

八束水臣津野命(やつかみずおみつののみこと)が、意宇の杜に杖を突き立てて、「意恵(オウェ)」と言い、国引きを終えた場所。

田んぼの中にぽつんと残る小さな森、というよりも木。

八束水臣津野命が持つ呪力を秘めた杖の依代だと言われている。

八束水臣津野命は、素戔嗚命の息子ともいわれている。




【意宇の杜での不思議な体験】


揖夜神社で参拝中に雨は止んだのだが、意宇の杜へ移動中に強風になった。

今にも雨が降りそうな天気で、気温が急に下がり、とても寒かった。

目が開けれないほどの強風で、体が飛ばされそうになった。

寒くてぶるぶる震えて、意宇の杜を見るので精一杯。

ふと、空を見上げると、虹が出ていた。

今までに見たこともないほどの巨大な虹だった。

「こんなに大きな虹初めて。サプライズだ」と思った。

写真を3枚撮ったところで、虹はすぐに消えてしまった。



意宇の杜から見た虹




【おわりに】


揖夜神社に着くと、大粒の雨が降って来た。

「揖夜神社の神様に嫌われたかな?帰れって言ってるのかな?」

雨が降っているからではなく、怖いとかではなく、揖夜神社は不思議な雰囲気が漂っている。

それにしても、なぜ境内の75か所に神饌をお供えするのだろうか?

何かを封印しているのだろうか?

*韓国伊太氐神社の名前は珍しい。

「韓国伊太氐神社」の「韓国伊太氐」が印象に残り、頭から離れない。

韓国伊太氐の文字と御祭神から、「素戔嗚命と五十猛命は渡来人」か「韓国を訪れ、日本に戻った」ということではないだろうか。

そうだとしたら、以前*『事代主大神の文字』で書いた、天無神人さんの本に書いてあった通りだと思った。



*韓国と関連する記事の詳細はこちら⇩

『地球の記憶とエネルギーを感じる場所 霧島連山最高峰の韓国岳』

https://keipandkeip.blogspot.com/2024/02/blog-post.html



*以前書いたブログの詳細はこちら⇩

『事代主大神の文字』

https://keipandkeip.blogspot.com/2021/07/kotoshironushinokami.html