揖夜(いや)神社
【所在地】
島根県松江市東出雲町揖屋
【御祭神】
[主祭神]
伊弉冉命(イザナミノミコト)
[配神]
・大己貴命(オオナムチノミコト)
*大国主命
・少彦名命(スクナヒコナノミコト)
・事代主命(コトシロヌシノミコト)
*大国主命の息子
・武御名方命(タケミナカタノミコト)
*大国主命の息子
・経津主命(フツヌシノミコト)
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拝殿 |
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本殿 |
【由緒と歴史】
創建年代は古く不明。
古事記・神代巻には、伊賦夜坂(いふやざか)について記されている。
日本書紀・斉明五年是歳条には、言屋社(いふやのやしろ)と記されている。
出雲国風土記には、伊布夜社(いふやのやしろ)と記されている。
以上のことから、少なくとも平安時代以前には広く知られていたようだ。
揖夜神社の穂掛祭では、不思議なことに、境内の75か所も神饌をお供えする。
穂掛祭は、8月28日に行われる豊作を感謝する祭りで、境内75か所に*穂掛榊を捧げ、神饌をお供えする。
*穂掛榊:稲穂を取り付けた榊。
【日本書紀の言屋社の記述】
日本書紀・斉明五年是歳条には、揖夜神社について次のように記されている。
[原文]
是歳、命出雲国造、〔闕名。〕修厳神之宮。狐噛断於友郡役丁所執葛末而去。又狗噛置死人手臂於言屋社。〔言屋、此云伊浮耶。天子崩兆〕。
是歳(このとし)、出雲国造(いづものくにのみやつこ)〔名を闕(もら)せり。〕に命じて、神の宮を修厳(つくりよそ)はしむ。狐、於友郡(おうのこほり)の役丁(えよほろ)の執れる葛(かずら)の末を噛(く)ひ断ちて去(い)ぬ。又、狗(いぬ)、死人(しにひと)の手臂(ただむき)を言屋社(いふやのやしろ)に噛(か)み置けり。〔言屋、此には伊浮耶(いふや)と云ふ。天子(みかど)の崩(かむあが)りまさん兆(きざし)なり。〕
[現代語訳]
*この年、出雲国造〔何という名前か記録が残っていない〕に命じられ、*神の宮を修造させられた。その時、狐が意宇郡の役夫の採ってきた*葛を噛み切って逃げた。また、犬が死人の腕を嚙みちぎって揖夜神社に置いていた。〔言屋は、伊浮耶という。天子の崩御する予兆である。〕
*この年:斉明天皇5年
*神の宮:意宇郡(おうぐん)の*熊野大社。
*熊野大社の詳細はこちら⇩
『熊野大社~島根県松江市八雲町』
https://keipandkeip.blogspot.com/2021/07/blog-post_9.html
*葛:神の宮の修造に使う木材。
【社殿】
本殿は、大社造。
内部の造りは、出雲大社とは逆向きになっている。
本殿と拝殿は離れており、拝殿は四方吹抜けとなっている。
揖夜神社は、境内入口にある随神門の正面に、本殿が鎮座していない珍しい神社。
【境内社】
[韓国伊太氐(からくにいたて)神社]
御祭神
・素戔嗚命(スサノオノミコト)
・五十猛命(イソタケルノミコト)
※素戔嗚命の息子
本殿の左側にある神社。
*延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)には、全国で6社しか韓国伊太氐神社の名前は登場しない。
6社とも出雲地方の神社で、社殿が現存するのは2社のみ。
社殿が現存するのは、揖夜神社の境内社と*曾枳能夜(そきのや)神社の境内社のみ。
*延喜式神名帳:延喜式は平安時代中期の法制書。延喜式の巻九・巻十で全国の神社を紹介している部分を神名帳と呼ぶ。
*曾枳能夜神社:島根県出雲市斐川町にある。
[三穂津姫神社]
御祭神
*三穂津姫命
※大国主命の妻
本殿の右側にある神社。
三穂津姫神社も韓国伊太氐神社も同じ造り。
*三穂津姫命の詳細はこちら⇩
『美保神社~島根県松江市美保関町』
https://keipandkeip.blogspot.com/2021/07/blog-post_35.html
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神社の並び順に記された看板 |
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韓国伊太氐神社 |
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三穂津姫神社 |
【荒神社】
荒神(こうじん)社の看板には、次のように記されている。
荒神社(祭神・スサノオ)
大蛇神(チイナマイト)
出雲地方でよく見かける、木に藁を巻きつけた荒神様。
荒神にその年の農作物の収穫に感謝する荒神祭は、収穫後の11〜12月に行われる。
出雲地方では、荒神を祀った樹木に藁で作った藁蛇を巻き付ける。
または、荒神を祀った石などに藁蛇を供える。
その周囲や藁蛇には、小さな御幣(ごへい)がたくさん立てられる。
出雲の東側、意宇郡(おうぐん)では、「チイナマイト」と呼ばれている。
「綱(つな)を巻いた」が「チイナマイト」と訛ったとされている。
ちなみに、*出雲国造家の本来の拠点は意宇郡である。
下の写真には写っていないが、荒神社の手前に、経津主命〔左側〕と武御名方命〔右側〕の石祠が、門守のように向かい合って建っている
*出雲国造家の拠点の詳細はこちら⇩
『神魂神社〜島根県松江市大庭町』
https://keipandkeip.blogspot.com/2021/07/blog-post_12.html
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荒神社 |
【武御名方命と武甕槌神】
古事記に記された「出雲の国譲りの神話」では、武御名方命は国譲りに反対した。
武御名方命は、武甕槌神(タケミカヅチノカミ)に果敢に挑んだが、*諏訪の地〔長野県〕に封じ込められてしまった。
しかし、*この神話は日本書紀には記されていない。
このとき、国譲りに賛成したのが事代主命である。
*日本書紀に記された出雲の国譲りの神話の詳細はこちら⇩
『美保神社〜島根県松江市美保関町』
https://keipandkeip.blogspot.com/2021/07/blog-post_35.html
【黄泉比良坂(よもつひらさか)】
揖夜神社の主祭神である伊弉冉命。
伊弉冉命と関連する場所が、揖夜神社から徒歩15分の場所にある。
古事記・日本書紀に登場する黄泉比良坂である。
別名を伊賦夜坂(いふやざか)と呼ぶ。
揖夜神社は、黄泉比良坂から近いことから、*黄泉の国(よみのくに)と縁の深い神社とされている。
日本書紀での黄泉比良坂は、黄泉の国と生者の住む現世の境目にある坂。
または、死者と生者の境目の場所。
※黄泉の国:死者の国。
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黄泉比良坂 |
【人間の生と死の始まり】
女神・伊奘冉(イザナミ)は、軻遇突智(カグツチ)を産んだことで亡くなる。
男神・伊弉諾(イザナギ)は、亡くなった伊奘冉に会いに黄泉の国に向かうが、腐った伊奘冉の醜い姿を見てしまう。
醜い姿を見られてしまい怒った伊奘冉は、伊弉諾を追いかける。
逃げ切った伊弉諾は、黄泉比良坂に巨大な岩を置き、道を塞ぐ。
閉ざされた女神・伊奘冉は叫んだ。
「愛しい人よ。こんなに酷いことをするなら、私は、1日に1000人の人間を殺すでしょう」
これを聞いた男神・伊弉諾は言った。
「愛しい人よ。それなら、私は、産屋を建てて、1日に1500人の子を産ませよう」
そして、2人は離縁した。
【揖夜神社での不思議な体験】
境内の奥にぽつんと「火守神社」がある。
火守神社は、誰を祀っているのか分からない。
おそらく、軻遇突智(カグツチ)を祀っているのではないだろうか。
火守神社の後ろは斜面になっており、斜面の高い位置に大きな木が立っている。
私は、その木がとても気になった。
通り道がないので、斜面をよじ登り、木まで向かった。
他人に見られたら、怒られるか、変な人と思われそうなので、人目を気にして登った。
登り終えると、足場が悪く、体が斜めになった。
木に両手を当てて、「気になったので来ました」と心の中で木にご挨拶をした。
すると…ピカッと陽が照り、雨が止んだ。
「今日はピカッが多いな。写真を撮らせて下さい」と思いながら、写真を撮った。
エメラルドグリーンの龍みたいな動物が写っていた。
後日、写真に写っているのは、木の精霊と天狗であることが分かった。
この木は御神木だった。
「神社にある木は、しめ縄をして祀っていなくても、大切に大事にしないといけないな」と思った。
最初は分からなかったけれど、写真をじっと眺めていると…天狗だった。
天狗だけど鼻は長くない。
大きい目で、優しい表情の天狗だ。
私は天狗が好きなので嬉しかった。
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この奥に火守神社がある |
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火守神社 |
意宇の杜(おうのもり)
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左の木の区画:意宇の杜 |
【所在地】
島根県松江市竹矢町
【意宇の杜とは】
揖夜神社から車で10分の場所にある。
神社ではない。
古代出雲国の政治と文化の中心地。
八束水臣津野命(やつかみずおみつののみこと)が、意宇の杜に杖を突き立てて、「意恵(オウェ)」と言い、国引きを終えた場所。
田んぼの中にぽつんと残る小さな森、というよりも木。
八束水臣津野命が持つ呪力を秘めた杖の依代だと言われている。
八束水臣津野命は、素戔嗚命の息子ともいわれている。
【意宇の杜での不思議な体験】
揖夜神社で参拝中に雨は止んだのだが、意宇の杜へ移動中に強風になった。
今にも雨が降りそうな天気で、気温が急に下がり、とても寒かった。
目が開けれないほどの強風で、体が飛ばされそうになった。
寒くてぶるぶる震えて、意宇の杜を見るので精一杯。
ふと、空を見上げると、虹が出ていた。
今までに見たこともないほどの巨大な虹だった。
「こんなに大きな虹初めて。サプライズだ」と思った。
写真を3枚撮ったところで、虹はすぐに消えてしまった。
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意宇の杜から見た虹 |
【おわりに】
揖夜神社に着くと、大粒の雨が降って来た。
「揖夜神社の神様に嫌われたかな?帰れって言ってるのかな?」
雨が降っているからではなく、怖いとかではなく、揖夜神社は不思議な雰囲気が漂っている。
それにしても、なぜ境内の75か所に神饌をお供えするのだろうか?
何かを封印しているのだろうか?
*韓国伊太氐神社の名前は珍しい。
「韓国伊太氐神社」の「韓国伊太氐」が印象に残り、頭から離れない。
韓国伊太氐の文字と御祭神から、「素戔嗚命と五十猛命は渡来人」か「韓国を訪れ、日本に戻った」ということではないだろうか。
そうだとしたら、以前*『事代主大神の文字』で書いた、天無神人さんの本に書いてあった通りだと思った。
*韓国と関連する記事の詳細はこちら⇩
『地球の記憶とエネルギーを感じる場所 霧島連山最高峰の韓国岳』
https://keipandkeip.blogspot.com/2024/02/blog-post.html
*以前書いたブログの詳細はこちら⇩
『事代主大神の文字』
https://keipandkeip.blogspot.com/2021/07/kotoshironushinokami.html
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